「毎日仕事で心が乾ききったという貴方、こんなことはご存知でしょうか?
 今、ペットによるセラピー能力が見直されてきています。
 貴方の部屋にもう1つの命を。
 心安らぐ一時をきっと運んでくれることでしょう」


 コマーシャルが入る。
 映像が歪み、空間だけが残った。
「いいとこだったのに」
「くだらないな」
 椅子に座る千年の頭に顎を置いていた芝はうー、と伸びをする。
 その声を聞いて千年は鼻で笑った。
「親父くせぇ」
「俺の方が年下じゃない?」
 まだピチピチの17よ?と言い返せばそれ死語、と返ってきた。




 シーザース
 



 実際、芝は他の委員会のメンバーのことは何も知らない。
 名前だって本当のものか怪しいし、っていうか本名の定義って何をさすの?みたいな感
 じなのである。
 彼岸人に親が居るかなんてわからない。
 もしかしたら生まれてずっと同じ姿なのかもしれない。
 面白みのないことだ。
 だいたい、どんな風に生まれるのかもわからないし、結局のところ今、この眼で見てい 
 る姿しか知らないのだ。
 もしかしたら、この瞬間にも生まれて死んでを繰り返しているのかもしれないのだ。
 彼岸人というものは。


「人間の常識で考えるなよ」
 芝が考えてることが容易に想像できたのであろう。
 発展が止まらない創造に、釘を打つ。
「ってか俺いまいくつになんの?」
 もともと考え込む質の男だ。
 人の忠告も聞かずに疑問を口にした。
「年なんて概念、あるもんか」
 その割に考える必要さえ無い思考が通じるのだからおかしなものだ。


 きっと、人と彼岸人の違いは犬と人間の寿命の違いみたいに当然のことなんだろう。
 そう結論付けて、芝は再度現れたテレビの画面に視線をうつした。
 病院で除菌された犬が走り回っている。
 犬が苦手な人だっているのに、ね。






 最近の自分の行動からするに、捨て犬感覚だったんだろうと芝は分析する。
 目の前には傷だらけの男が転がっている。
 遅い時間だから良かったものの余りにも目を引く荷物だ。
 消毒液なんて俗世じみたものは部屋に置いて無かったので、タオルを水に濡らして傷
 口にあてた。
 固まりかけていた血はタオルを濃い桃色に染める。


 服の上から噛みつかれたような傷には着ていた服が食い込んでいて、取った方がよさ
 そうなことは分かった。
 タオルを当てながらゆっくり剥がしてやる。
 自分の行動がやはり今ひとつピンとこないながらも芝は懸命にその作業を繰り返した。


 男が動きだす。
 首元に手をさまよわしたあと、諦めたかのように拳を突き出してきた。
 避けれずに芝はまたもや顔面に食らう。
「ってぇ…」
 口は確実に切れた。
 血の味がする。
 芝の中の何かも切れる。
 大鎌を取り出して柄の部分で男の腹をつく。
 が、当たらない。


「彼岸人かよ」
 舌打ちとともに両手を高くあげて男は唾を吐いた(下はフローリングだ)。
 掃除するの誰だと思ってんのとつい言いそうになった芝だったが、男があまりに頼りな
 さげに立っていたので言葉が続かなかった。
 男、紅棍はふてぶてしい態度をとっていたが、眼があまりにも疲れきっていた。
 やはり、捨てられた子犬のようだと思った。






「ふ〜ん。…で、今その子は?」
 興味があるのかないのか話の続きを促す薄荷に、芝はもったいぶって笑いかける。
「と言いますと?」
「まさかそのまま、はいサヨナラしたわけじゃないんでしょ?
 一緒に住んでんの?同居?同棲?
 はーぁ、若いっていいわよねん」
 本気か冗談かわからない薄荷の発言に芝は笑うしかない。


「で、その子は彼岸人を知ってたのね?」
「みたいですよ」
 明らかに彼岸人か、と毒づいたわけだし。
「何人?」
「アジア系みたいですけどね」
「へぇ、なんて名前?」
「聞いてませんよ?」
 妙に食いついてくる。
 そりゃそうだ。
 普通に生きてる限りそう関係のあるものではない、彼岸人というものは。



「会いに行こうかしら?」



 ペットを守るのは飼い主の務めだろう。
「プライベートは覗かれたくない主義なんで」
「彼岸人全体への挑戦かしら?」
 薄荷は楽しそうに笑った。


「彼岸人の歴史は人間への隠匿の歴史。
 鼈甲ちゃんもまだ危ないことしてるみたいだけどね。
 人間と交わろうとすれば世界の崩壊が始まるの。
 さながらあんた達は鋏の片刃」
「俺みたいな下っ端捕まえてもなんもでませんって」
 薄荷の言いまわしに芝は己の立ち位置を思い知らされながら言う。
 決して彼岸人ではないのだ。
 いうなれば偽物。


「ロミオとジュリエットみたいね。
 どっちかっていうと人魚姫かしら」
「別に一目ぼれとかじゃないですから」
 とても楽しそうに薄荷は続けた。 







「名前、なんていうの?」
 返事はやはりない。
 薄荷の言葉が少し引っかかっていたのだ。
 だが、芝の家に来て一週間弱、一日目以外一言も口をきいていない。
 彼岸人であるためか抵抗はしないがだからといって友好的なわけでもない。
 それでも自分の状態は分かっているのだろう。
 出された食事は取るし、逃げだそうともしない。
「俺はね、芝怜一朗って言うんだけど」


「紅って呼んじゃうよ?」
 怪訝そうに見つめてくる紅棍の眼もとの皺を伸ばしながら芝はもう一度言う。
「くれない、うん、紅」
 印象的だった紅の血。
 濁々と流れるさまはそれを流すものが生きているものだということを明確に表していた。


 あまりに似合った名前を思いついた芝は傍目から見ても喜んでいると分かるような笑顔
 を浮かべ手元にあった紙に漢字を書いて差し出す。
 少し右上がりの文字は決して読みにくくも上手くも無かった。
 見慣れた文字に紅棍は頷く。


「それで良い」
 久方ぶりに紅棍が口を開く。
 こちらも隠してはいるものの少し表情が和らいでいる。
 董奉がいれば聞いたことだろう。
 何かいいことでもあったのか、と。
 紅棍には人に呼ばれるような名前などとうに無かったのだ。


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