雲ひとつ無い青空。
 桜の花びらが頬をかすめる。
 そんな些細なことを綺麗だと思える自分を嬉しく思った。
「…大人みてぇ」
 赤月知佳、15歳の誕生日のことである。
 
 卒業式を終え、自由な毎日を友達との遊びに費やしていた知佳だったが、なぜか今日は予定を入れなかった。
 だが家に居るわけにもいかなかった。
 誕生日会を開くべく、妹と父親がこそこそと何かをしているのを知っていたからだ。
 こんな気遣いを自然にこなせてしまうなんて、やはり1つ歳をとった自分は違う。
 飲酒が許される年になった訳ではないけれど、誕生日はやはりめでたい。

 何をするでもなく自然と脚が向かったのは卒業したばかりの中学の前だった。
 別にとびきり学校が好きだったわけではないのに数日前のことが酷く昔に思えた。
「…桜、だっけ」
 花弁のシャワーの中を歩いている。
 卒業証書を入れた筒を持って。
 誰かと笑いあいながら、2人で。
 これは梅の花だと誰かが言った。
「まただ」
 最近、こんなことがよくある。
 
 何かが足りない。
 ふいにそう思う。
 友達と遊んでても何かが違う気がする。
 どこかが間違っていて、誰かがいない。

 ある時、落ちていくものが急に怖くなった。
 高いところが恐ろしくなった。
 授業をさぼる時、屋上に行かなくなった。
 けれどたまに無性に昇りたくなった。

「つまんねぇ…」
 いつの間にか口癖になっていたのに気付いたのは最近だ。
 特に不機嫌な訳でもないのにそう呟いてしまう。
 そしてまた既視感。
「デジャブの反対はジャメブ」
 どうしてオレは知っているのだろうと思うことが増えた。

 夕暮れの中を家路につく。
 近頃、陽が長くなった。
 向こうから歩いてくる人の影が長くのびる。
「おめでとう、知佳」
 すれ違いざまに聞こえた声に振り返ると、翻った白いロングコートが角に消えた。
 とっさのことに追いかけようと思うまでに時間がかかった。
 交差点を曲がると夕日に染まり、紅い影のような姿が見える。
 どんどん進んでいく背中を追いかけて腕を掴んだ瞬間、無性に泣きたくなった。

「泣かないでよ、男前が台無しだ」
「あんただったんだな」
 足りない何かは。
 茶化すような声に懐かしさを憶える。
「誰なんだよ」
 どうしてこんなに悲しいんだ。
 目元まで深くかぶったフードで顔は見えない。
「まだ思い出さないで」
 どうしてこんなに離したくないんだ。  
「オレはあんたのことを知ってる」
「…ありがとう」
 自然に振り払われた手に何かが触れる。
 白い、あの日も舞っていた、それ。

「梅の花が次に咲く時―」 
 そう、これは桜じゃない。
「いや、もう少し前かな―」
 誤差が想定出来ないからなぁと男は呟く。
「俺のこと、いつか思い出してね」
 降り積もった花弁がもう一度宙を舞う。
 思いのほか強めの風にあおられて男のフードがめくれる。

「芝…」
「思い出したの、知佳」
 喜ぶ芝に首を振る。
「そうか、芝って言うのか」
 オレの足りないピースは。
 口をついて出た名前はどこかで聞いたような気がする。
 言い慣れていた気がする。
「オレは思い出せるのか」
「うん、時が来れば必ず」
 迎えに行く。

 
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