=不情と不浄の浮上は不定=


 どんなに余裕ぶってみても所詮は底の浅い見栄なんだろう。
 絶対受かると知っている。
 落ちるという未来は選択肢にない。
 堕ちる現実が待っている。


 一向に眠気の訪れない深夜4時。
 雨の音と新聞配達の原付だけが音を出す。
 発信源は明確に外なのに、外はしんと音を吸収してしまったようにぽっかりとある。
 夜は好きだ。
 暗くて静かだから。
 街灯の光も差し込むし、また新聞がポストに押し込まれる音を聞いたというのに不思議
 とそんな言葉が頭を横切った。

 日の音が無くなって暗くなる。
 青い争いが終わり静かになる。
 その日、青空が広がっていたら晴れだなんて無意識のうちに考えだす職業病に違いない
 それはよく考えれば昨日今日に始まったことじゃない。
 でも目についた。
 頭にこびりついた。


 俺は緊張している。


 寝ようが起きていようが朝は来る。
 もうとっくに合格の判定は出ていて、書類は打ち出され封に入っていて、あとは各受験
 生の家に届くだけ。
 もう先は決まっている。






 ************






 届いた封筒は不思議と薄かった。
 落ちたのかとあせる何故か今日は家に居る両親に郵便受けから取り出した包みを振って
 見せる。
 まぁ言ってしまうと結果報告だけだったのだ。
 これからのことはまた別の封筒で。


「良かったな」
「お前は凄い」
「受かると思ってた」
 並べられる賛辞の言葉に愛想笑い付きの会釈。
 平然と登校し、結果を報告した。
 今朝がたまでの滑稽な行動はなんだったのだろう。
 どちらが本当の自分なのだろうか。
 名門校へと生徒を進学させられたこと及び自分の教師生活の結果に感動して泣きそうに
 なっている教師を見てつい考えてしまう。


「受かったんだって?」
「まだ職員室にしか行ってないんだけどな」
 ある程度あたりはついているけれどわざわざ暴く必要もないことなので小さく笑って見
 せると知佳は自慢げに笑い返した。
 増幅鏡のようだった。
「オレらダチだもん、顔見りゃわかるっつの…ってのは嘘でさ。
 ま、お前どうせ受かるんだろうなって思ってたもん」
「そりゃまた大層な信頼で」
「………」
 何も返って来ない。
 虚像…スクリーンと焦点距離と勝手に思考し、嫌気がさした。
 病気だ。


「オレもさ、受かった」
 急に戻ってきた音に意識を奪われていて内容を理解できないまま、あともえとも区別の
 つかない相槌のようなものをうつ。
 変な声と知佳は少し笑って、深呼吸。
「黒羽受かった」
「良かったじゃん」
 とっさにでた言葉は先ほど軽く聞き流していたそれとたいして違いのないものだった。
 同時に、驚くほどに感情のこもらないただの記号だった。


「もう俺はてっきりチカちゃんはどこも受からないんじゃないかって心配してたんだから」
 ごまかしても遅い。
 自覚してしまった。
 嘘だ、今更、なんで。
「なんて顔してんだよ」
 心配そうにのぞきこんでくる知佳を強く引き寄せた。
 人は本当に驚くと表情が変わらないって言うけどまさにそれだ。
 自分の唇が奪われてしまっているというのに俺を心配したままの知佳。
 時間は体感速度の一瞬より本当は長くて、でも数秒より短い。

 
 突き飛ばされた身体をゾンビのように起き上がらせたのだと思う。
 だるいという思いと知佳を捕縛したいという欲望がごちゃまぜになる。
 知佳が何か言っている気がしたけれどただ追いかけて、そのまま手すりに押し付けた。
 もう後がない。
 背水の陣?
 背中が危ないの俺じゃないからね、知佳だから。


 もう一度、薄く開いた唇に噛みつこうとして顔をそらされる。
 押しのけようとする力は意外と弱くて下半身に体重をかけながら知佳の顎を両手で掴ん
 で動けないようにした上で食らいつく勢いでぶつけた。
 表面だけを舌でなぞるも口はあく気配もなく、離れたくないという意思だけが先行して
 下半身に手をやる。
 迷うことなくチャックのあたりに手が伸びた。
 濁音っぽい声がして本能としか言いようのない速度で侵入させた舌が噛まれた。
 噛み切られても良い。


 痛覚は麻痺していて、けれど触感は確かに知佳の性が昂ぶっていることを教えてくれる。
 離れたくない。
 けれど、もう離別は近い。
 急にクリアになった視界で知佳は不憫そうに俺を見ていた。
 恐らく心配した顔のまま、表情を変える暇がなかったのだろう。


 ゆっくりと身を引いて、瞼を閉じた。
 歯はくいしばらない。
 痛みの緩和なんて必要がない。


 たぶん、だなんて言葉を使うのがばかばかしい位に己の気持ちが手に取るように分かる。
 本当の自分はもうここに居ない。
 今、牢に閉じ込めた。
 自らの手で。
 番人が俺。
 秩序が俺。
 今の俺が本当を内包し、許したくても許さないでいる。
 拘束された真実も身動き一つせずに暗い部屋の隅に倒れている。
 死んだのかもしれない。


「友チョコってよく女子がやってんよな」
「ごめん。
 ………?」
 とっさに謝ったものの会話の食い違いに気づく。
「んでバレンタインデーって逆チョコとか今年からやろうぜみたいなノリでさ。
 ま、戦略なんだろうけど確かに本来の風習じゃ間違ってないし。
 なんつーの、ダチだからってか、あー、うん…許す」


 疲れた時は甘いもの。
 んで受験終わったおめでとう祝い。
 それにお前は友チョコを返す義務がある。
 だなんてすらすらと並べる知佳に唖然とする俺。


「怒らないの?」
「怒ってんよバーカ。
 喫茶店行くぞ、ケーキ全制覇してやる。全額お前もちな」
 許されてしまったせいで行き場をなくした足は、私服に着替えるために家へと帰る一歩
 と決定されてしまった。



「んの前にちょっと便所行ってくる」
「あー、わかった」
 まるでいつも通りに軽く手をあげて送り出す。
 送り出す、気づく、遅い。
 単語を羅列してしまうくらいに愚鈍に動く我が脳みそ。
 当分は休みだとでもいうのだろうか。
 知佳が何をしにいったのかわかってしまい改めて目を閉じる。
 俺ってば自分で思ってたより諦めが悪い。


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