=破戒歌=


「ちわー」
 特に覇気があるわけでもないいつも通りの挨拶に従業員一同がこちらを向く。
「え、オレなんかしましたっけ?」
 別に遅れてきたわけでも無いし変な格好をしている訳でもない。
 変な格好と言えば今日はハロウィンだと言ってとがった黒の帽子をかぶっている今シフ
 トの奴らの方だ。
 しかもマント付き。
 魔女か。


 タイムカードを機械に通して制服に袖を通そうとしたところでこそこそやっていた女子
 がやっと声をかけてきた。
「赤月くんってかっこいい従兄弟とかいたりする?
 同じ年か、うーん、1つ上かな、3時前から居るし」
「いや、いねぇけど」
 むしろ親戚すらいない。
 もしかしたら何処かで異父兄弟がいるかもしれないがそれは考えないことにする。


「っで親戚がどうしたって?」
「一昨日からね、毎日フリータイムで赤月って人が来てんの」
「ふーん」
 別に赤月なんてそう珍しい名字でも無いだろう。
 あいにくお目にかかったことはないが。


「同じ赤月なのにな」
 ふと肩を不憫そうな顔で叩かれていらっとした。
「オレの顔に文句でもあんのかよ」
「いぃや、不憫だなぁって」
「死ねよ」
 気がつくと時間が交代を告げていたのでカウンターに入る。
 やけに乗り気味な奴らからマントだけひったくって肩にかけとく。
 ちなみに帽子は辞退した。


「っでその赤月くんがさ、あんまりかっこいいからって履歴見た奴が居るわけよ」
「良いのかよ、そんなことして」
 さぁと曖昧に笑ってみせる仲間の話に適当に相槌を打つ。 
「3日連続で5時間くらい歌いっぱなしだからね、1人。
 そりゃ目立ちもするだろうさ」
「そりゃそうだ」
 喉、痛くないんだろうか。


「んで赤月くんはランキングを総なめするような歌い方してるらしいよ」
「練習じゃねぇの?」
 週末に誰かの前で歌わなきゃいけないとか、そう、例えば恋人とか。
「ところが1曲だけ聞いたこと無いタイトルだからいれてみたそうだ」
「悪趣味だな」
 プライバシーのへったくれもない。


「あれか、とち狂ったラッパみたいな奴」
 なんでもそつなくこなす親友が歌った変な曲のことを思い出した。
 毎回歌うものだから洗脳されるかとあの頃は思ったものだ。
「へぇ、なんで知ってんだよ」
「………」
 ものすごく嫌な予感がした。


 あんな歌、歌うやつが他に居るとは思えない。
 そしてオレと同じ名字。
 適当にいれたのであろうヒットメドレーのような選曲。
 なにより人に騒がれ過ぎる容姿。


「あとは飲み物が紅茶でシロップ多めらしいぞ」
 …絶対あいつだ。
 紙を探す。
 3時からフリータイムのを。


 そんなとき、ちょうどコールがかかった。
 つい自分の方が近かったので取ってしまう。
「紅茶アイス、ストレートでシロップ多めでお願いします」
 よく声が出なかったものだ。
 悲鳴ともうめき声ともつかない声が漏れるところだった。


「408号、アイスストレートティー、シロップ多めだってさ」
「うん、そうか」
「オレはカウンターにいる」
「いやいや、件の赤月くんとこだろ。
 会って来いよ、折角だから」
 絶対、図られている。
 こんな時に限ってそいつの方に客が会計に来るんだから。






「失礼します」
 ドアをあけしゃがみこんでグラスを置く。
 なんとなく視線を上げてはいけない予感がした。
 シロップを崩れそうな程に積んだ小皿をそっと置く。
「グラス、おさげしますね」
 空になっている方に手を伸ばしたとき、腕を掴まれた。
 つい顔を見てしまう。


「Trick or Treat?」
 うるせぇ。
 抱きかかえたまま聞かれても困る。
 むしろ寝技に近い、逃げようと知れば首を絞められそうだ。
「…季節限定ハロウィンメニューがお勧めですが」
「個室にまで押し掛けてきて訪問販売だなんて質が悪いなぁ」
 こいつ、どうしてやろう。


「そっか、悪戯が良いんだ」
「黙れ死神」
 んー、もう口が悪いんだからと芝は受話器を取る。
「すみませーん、赤月借りますね」
 どーもだなんて切るもんだから結果は聞かずともわかる。


「知佳にはお菓子、あげるからね」
 膝枕のように頭を抱えられて口をこじ開けられる。
 いつの間に封を切った。
 シロップがこぷりと音を立てて流れ込んでくる。
「…甘っ」
「俺も欲しいなぁ」
 皿に山積みにしてやったんだ。
 いくらでも飲んで喉に張り付く感覚を楽しめばいい。
 今まさにその感覚に襲われていたオレは言葉を出す代わりに唾液で流そうとしていた。


 …ありえない。
 久々に顔、こんな近くで見ただなんて頭は勝手に現実逃避をし始めていて、逃げ遅れた。 
 キスされた。
 口の中をあますことなく舐めるようにねっちっこいキス。
 流れて行ったシロップを惜しむように喉の方にまで舌が入り込む。


 息ができなくて、やべー死ぬかもだなんて思ってたところでやっと酸素が入り込む。
 甘かったのだろう、シロップなしの紅茶を流しこんでいる芝にざまーみろと一言だけ言
 って立ち上がる。
「9時あがりだから」、と。


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