=テュポン作・ブランク=


 呂律がいまいち怪しいながらも「はい、もしもし」と言ったのと同時だったと思う。
「台風!」
 あー、この子テンションあがってるんだな、そうか、きょうびの中学生は警報が出たら
 テンションあげるんだだなんてどこか遠くで考えていたのは俺が低血圧だから。


「…あったね、そんな話」
 知佳との朝一の電話なのにモチベーションが上がらない。
 8時起きの人間に7時に電話してくる知佳が悪い気さえしてきた。
 電話に起こされることほど心臓に悪いこともなかなかない。
 親はとっくに仕事に行ってしまったし、というより帰ってきたかも怪しい。
 そんな訳で歩く屍の如く足を引きずり電話に出た瞬間これだ。


「警報」
 単語しか喋れないのかなこの子。
 その兆候は前々からあったんだ。
 なんて。
 よし、ちょっと頭が回りだした。


「じゃぁ今日学校休みなわけ?」
「おぅ、だから遊びに行こうぜ」
 嬉々として間違ったことを言う知佳。
 これがさぼって遊びに行こうならのるけど耳を澄ますまでもなく雨が窓ガラスをたたく
 音がうるさい日に外に出る道理はない。



「うちおいでよ、親いないしさ」 



 少しひんやりとしたロビーで知佳を待っていると小学生くらいの子が新聞を取りにきた。
「お兄ちゃんも学校お休み?」
 知らない人に話しかけちゃいけませんと親に教わらなかったのだろうか。
 俺だから良かったけど例えばこれがよこしまな気持ちを抱く大人とかだったらすぐに車
 の中へ直行だ。


「でも台風だからね、外に出ちゃいけないよ」
「うん、ちょっとだけにする」
 外は人も少ないし絶好の人攫い日だろう。
 例えばこの子が小さい頃の知佳だったら…。


 傘に雨粒が当たる音が近づいてくる。
 もう少し幼ければ誘拐したいと思っていたところだ。
 小さくならなくても今から2人きりだけど。
 

「おはよう」
「おぅ」
 傘をさしていたはずなのに、濡れ鼠さながら髪を額に張り付かせている知佳は少し身震
 いをした。 
「寒くない?」
 薄手のジャケットがあるからあまり目立たないけれど下のシャツは体に張り付いて肌色
 が透けて見える。
 余裕、と一言返してエレベーターのボタンを連打している。


 脱衣所からバスタオルを持ってきて、ストーブに当たりながら縮こまっていた知佳の髪
 を割れものを扱うよりよっぽど丁寧に拭く。 
 ストーブ出してて良かった。
 冷え性の自分に少し感謝。


「芝ぁ、こしょばいって」
 なんとなく「くすぐったい」の友達ってことはわかるけど「こしょばい」って…。
「なに笑ってんだよ…」
「なんかかわいくて」
「男にかわいいなんて言うんじゃねぇよ」
 じゃぁさ、その赤くなってる顔はなんだろうね。
 きっと聞いたらストーブのせいにするんだろうから聞かないけど。


「なぁ芝ぁ…あんさ、眠いんだけど」
「はぁっ?」
 相当おかしな声を上げたのだろう。
 とろんとしかけていた目がばっちり開いて俺を見る。
「ほら、台風じゃんか。
 ちょっとわくわくすんなぁとか思って昨日から寝てねぇわけよ」
「そんな状態で遊びに行こうとか言ったの」
 睡眠不足で倒れられたりしちゃかなわない。
 そりゃ喜んで介抱でも何でもするけどさ。
 でも知佳には元気で走り回ってて欲しいじゃない。
 あれ?なんか親の気持ち?


「だってせっかく台風だし警報だし…」
「わがまま言うんじゃありません」
 ふらふらする知佳の腕を引っ張って部屋に連れていく。
「昼になったら起こすから」
「ん。おやすみ」
 人のベッドだとかそんな細かいことを気にしない知佳はおとなしく眠りについた。
 即おやすみですか。


「ねぇ知佳」
 規則正しく上下する胸にそっと手を置いた。
「他の奴のベッドなんて借りないでね」
 眼の光の強さで普段は気付かなかったけど意外と睫毛が長い。
 そっと触れてみると手が伸びてきて目をこするようにしてから布団に落ちる。
 毛づくろいする猫みたいだ。
 実際に見たこともないくせにそう思った。


 かまい過ぎて端っこに行ってしまうのも動物みたいでかわいい。
 そう、知佳は可愛い。
 再確認して時計を見ると8時。
 普段ならそろそろ起きだす時間だ。
 あぁ、1時間も早く起きていたのか。
 今更思い出す。


「いいよね、俺のベッドだし」
 12時になれば目覚ましが鳴るようにセットする。
 布団にもぐりこむとやっぱり少し狭くて抱きついた。
 聞こえるかな、聞こえないよね、心臓がうるさい。
 言い訳は起きて考えることにする。
 だって時間はまだまだあるんだから。


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