=肺呼吸生物の無理=


「もうやだ…死にたい」
 虚ろな目線で空を見上げる芝は屋上の地面と熱い抱擁を交わしていた。
「いや、熱いだろ、お前それほんとに死ぬって」
 何が楽しいのか張り切っているかのように照りつける太陽の熱がアスファルトを焦がす。
 この世の不幸をすべて背負ったような顔で知佳を視界に入れた芝はふと儚く笑い、地に
 顔をうずめた。
 顔の下は目玉焼きが焼けるかの有名なマンホールである。
 悲鳴すらなかった。


「お前バカだろ、なんであんなのに顔つけるんだよ」
 せっかくきれいな顔なのにと文句を言いながら、保健室から強奪してきた氷嚢を芝の頬
 に押しあてる。
「コロスナラコロセヨコロシテクレヨ」
 もはや日本語かさえ危うい音が芝の唇の隙間からこぼれ出る。
 普段なら喜ぶきれいという言葉すら今日の芝には届かない。
 そういえば最近少しテンションが低かった気がする。


「どうしたんだよ芝。なんでも聞いてやるから言ってみろよ」
「お願いだから殺して」
 なおも人を殺人犯に仕立てあげようとする男をどついた。
「お前なぁ、俺がダチ殺すような人間に見えるかよ」


「知佳はきっと俺を訳も知らずに殺す気だよ、俺去年殺されかけたもん」
 この時期と関係があるなら俺らはまだそんなに仲良くなっていなかったはずだ。
 1回くらいプールに行こうとは誘ったかもしれないけど。
 知佳は無い記憶力をフル稼働させて考える。
 なんせ親友の一大事だ。
「…んな訳あるか」
「あるんだよ、あるんですよ、うふふ」
「すみません、しっかりしてください」
 気味悪く笑いだす芝にもう謝罪の言葉しか思いつかない知佳であった。



「なんで水泳なんてあるんだと思う?」
 笑いが止まり、ようやくいつもの芝の様に下らないけど本人にとっては真剣な疑問を投
 げつけてきたので今回は真面目に返答する。
 いつもなら知らないと流すけど。
「乗ってた船が沈没するとか川に落ちるとか洪水で水があふれ出したときに泳げなかった
 ら死ぬじゃんかよ。だからそん時のための練習だろ」
「もうやだ。船乗らない川に近づかない洪水なら死んでいい」
「いやいや、溺死って一番多いって言うし」
「苦しくても良いから泳げなくていい。
 いっそ内陸地に済む。内陸県が沈んだら日本沈没だもん」
「恐ろしいこと言うな…」
 日本に果たして海に面していない都道府県があるのかと考えながら、知佳はようやく気
 付くのだった。


「お前…泳げねぇの?」
「そうだよ悪い?
 息継ぎ以前に沈むからね、人間の身体なんて浮くように出来てないんだからね」
「肺に息溜めりゃ浮くよ」


「あぁそうさ、頭ではわかっちゃいるさ。
 でも身体が拒絶反応を起こすんだよ、泳ぎたくない、水嫌いって。
 だいたい水泳って何?
 何が楽しくて夏が来るたびに泳がなきゃいけないわけ?
 なんで男に生理がないのさ。
 俺きっと根性でプールの授業期間中だけ生理で居続けるのに。
 ほんと信じられない。
 だいたい人間が肺呼吸な時点で泳げないって気づくべきなんだよ」


「わかったから落ちつけって」
「落ち着いてなんかいられないよ。
 刻一刻と奴が来る」
 奴ってプールのことだよな。


「さぼりゃいいだろ」
「さぼってたよ毎年。
 この時期だけは不登校さ。
 でも今年は知佳が居るじゃないか。
 なんの不自然もなく知佳の水着姿が見れるっていうのに休めるわけがないじゃないか。
 考えてもごらんよ、スクール水着のあの破廉恥さを。
 なんであんなに必要最低限な布の面積なのか」
 聞きたくもない単語が耳を通り抜けていく。
 知佳は暫し親友で居続けるべきか悩んだ。
「俺に言うなよ」
 1度親友と認めた男を簡単に見捨てられない己の性格を恨む知佳だった。


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