=Reaper=


 髪に触れる。
 その行為は性交渉よりもエロティックなものであるという説がある。
 それがどういう論理に基づいて展開されたものなのか、詳しい過程も簡略化された過程
 も全くと言って差し支えないほど知らない。
 ただその存在を知るだけである。
 そのこと事態には何も感じない。
 ただ、俺は知佳に頭をなでられることが好きだった。
 それだけで十分世界は廻る。


「ねぇ、知佳のためにやったんだよ。
 …褒めてよ、さすが芝って」
 人間であった芝怜一朗という自己と彼岸人の本能の狭間に立っていた。
 場所は奇しくも知佳と戦闘行為を行った、あの屋上。
 急いで階段を駆け上がってきた知佳は広がる光景に一瞬、動作の術を失う。
 一面血まみれ、死体が2つ転がっていた。
 橘思徒と紀多みちる。
 知佳の友人であり仲間であり、俺の嫉妬の対象であった2人。
 いざ無くなってしまうとそれ達は古き良き思い出となって俺に微笑みかける。


「ちゃんと自分の意思で行動できるようになったよ。
 俺、この2人が嫌いだったんだ。
 だから殺した、自分のために」
 知佳の怒りだけをあおるように続ける。
 もう、怒ってほしいのか褒めてほしいのか分からない。
 違う、俺は褒めてほしい。
 頭を撫でられたい。 


「それが…お前の自由か」
 案外怒りを含んでいない声の知佳。
 それは一種の温かささえ含んでいて耳に心地いい。
「そうかもしれないね」
 他人の意思に縛られ続けた人生。
 人眼に世論に突き動かされて辿りついた先は屋上。
 俺にとってはゆりかごも墓場も屋上という場所だったのかもしれない。
 ここが墓場。


「ねぇ知佳、約束覚えてる?」
「退屈で死にそうになったらって奴だろ」
 やはり知佳は覚えてくれていた。
 鎌と刀を担ぎながらこうなることなんてまったくあの頃は予想していなかった。
「自由…うん、自由になれたよ俺は」
 辺りは血の海で視界さえも真っ赤に染まる。
「でもやっぱり死にそう」
「だからこいつらを殺したのかよ」
「うん、意味は無かったみたいだけど」


 日本刀を構えた知佳が間合いを詰めてくる。
 俺は鎌を手から放した。
 からんという音と肉を突き刺す音が同時に耳に届く。
 痛いけど、まだ死にそうになかった。
 時間の問題だろうけど。


 倒れ込んだ俺を起こした知佳は自分の膝に俺の頭を乗せた。
「膝枕?」
「うっせーよ」
 遠いところでサイレンが聞こえる。
 決してこちらにはやってこない。
 知佳は音の方を向いて言った。
「彼岸人ってのは器用なもんだな」
 幻まで作れんのか。
「…知ってたんだ」
 ちらりと見るとどんどん消えていく赤の世界。
「右手になんの異常もねぇからな」
 知佳は2人の姿が幻だと知っていたから怒らなかった。
「ケアレスミスだったんだよ」
「嘘くせぇ」 


 じゃぁさ、なんで俺を刺したの?
 正当防衛でさえ殺そうとしなかったくせに。
 でもその前に、1つ聞きたいことがあった。
「ねぇ、今でも俺は、親友?」
「ダチはいつまでもダチなんだよ、バーカ」
 きっとそれが答えなんだろうね。


 照れたように顔をそむけながらも俺の頭にのびる左手。
 髪をすくっては撫でつける。
「愛してるよ」
「そっか」
「えっちしたい」
「知るか」
 手は止まらない。


 知佳はずっと知ってた。
 俺の心のうちなんて、きっとずっと、なにもかも。
「知佳は酷いや」
「人でなしだからしょうがねぇだろ」
「ゾンビになる前から何も変わってないよ」
「お前もな」


 すべてが幻だったように消えていく。 
 足から胴へとゆっくり、焦るように。
「俺、死ぬんだね」
「3回目だろ」
「………」
 浸食はすっかりすすんで声帯にまで及んでいた。
 もう、言葉は出ない。
 でも最後に言わせて。



 知佳



 唇だけが動いて、消えた。
 好きとか愛してるとかそんなのわかんなくなっちゃって言えないけど。
 知佳が居たこととか俺と出会ったこととかこうしてここに居ることとかが大事で。
 あれ?なに考えてんのかわかんなくなってきちゃったや。


 もう何も聞こえない。
 残ってるのは眼と脳だけ。
 考える力は確実に消えていってるんだね、容量から。
 あと何秒残っているかなんて考えて、時間の無駄だと切り捨てる。
 考えることができなかっただけかもしれない。
 でも呪文のように頭で繰り返す。


 知佳知佳知佳知佳知佳チカチカチカちか―
 かみ…きもち、いい


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