=Train=


 最後に一言交わしてから、俺らの世界に音は無くなった。


 何も耳にいれたくなかったからだろう。
 左腕のアナログ時計が時を刻む音。
 波が俺らを飲み込まんとこちらへ向かっては、諦めたように引き返していく音。
 繋いだ指先から向こうに聞こえてしまいそうな程に、心臓が異常なまでに早鐘を打つ。
 そんな音。
 

 二人でこしかけた砂浜から一歩も動けずにいた。
 停戦だなんてしゃれこんでみても笑い飛ばせない、そんな立ち位置で。
 海に引きづり込まれることを願わずにはいれなかった。
 それを察したように知佳は俺を海から離し、手を繋いだまま駅へと歩みを進める。
 頬が濡れる。
 気づかぬ間に雨が降り始めていた。


 ご都合主義のドラマのように待ち合わせたこの駅発の終電に乗り込む。
 呆けたように立ち尽くす俺のポケットに、切符はねじ込まれた。
 すぐ横に座る知佳は少し暖かい。
 何かを話したくなって口を開いてみるも零れ出すはずの物はすべて喉に詰まって出て来
 てくれない。
 代わりに咳込んだ。


 10余りの駅名を聞いたときだった。
 ふいに肩が叩かれる。
 考え事をしていたわけでもないのに我に返ってみると懐かしの最寄駅だった。
 知佳はもう1つ先の駅だ。
 降りる必要は無かった。
 もうここに住んではいないのだから。
 今日も適当にするつもりだ。


 とうとうお別れだ。
 十数分間この時を数えていて知佳を見ていなかったのだから本末転倒も良いところだ。
 立ち上がって、電車を降りた。
 電車とホームの間に光るものが見えた気がする。
 きっと雨だ。


 俺が降りたのを確認してドアは閉まった。
 動き出した電車の方に目をやると、知佳がこちらを見ていた。
 目元がきらりと光っていて、一瞬泣いてるように見えた。
 これも雨のせいだ。
 雨が窓ガラスを伝っている、ただそれだけ。


「  」
 この世界に音は無い。
 知佳の家側の方が少しだけ都会なせいか向こうは眩しい。
 電車は光に飲み込まれるように走って行った。
 俺にとって知佳が眩しいとう感情から生まれた錯覚かもしれなかった。


 そんな俺たちにはどうして薄い壁があって、それは俺がつくっていたのかもしれないん
 だけど踏み越えることはできなかった。
 怖かったのかもしれない。
 知佳に自分が否定されるということが。
 知佳にだけ該当することではない。
 俺が相手に自分の腹のうちを示せないのは、ただ自分を守るためだったのかもしれない。


 なのに知佳の全ては知りたかった。
 つらそうな顔で気が向いた時しか教えてくれない、たとえばお母さんのこととか。
 憧れていたのだろう。
 真似したかったのだろう。
 結局は俺から離れてしまったというのに。


 改札に切符を通す。
 もう追いつけないのだと言い聞かせるように。
 実際、先ほどの電車は終電だったのだから。
 切符が吸いこまれ、現実的な音がし、耳鳴りがする。
 バイクのエンジン音からコンビニのドアが開く音までの、大小さまざまな音が際限なく
 流れ込んでくる。
 

 遠ざかっていく電車の音も、した。


 次の駅なんてなければよかった。
 離れていく音に、もう偶然でしか出会えないことを悟った。


 夕方から崩れると言われていた空はなおも平静を保ち、月が揺れる。


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