=それは合法につき=


「痛いって―ほんと、痛いからそれ」
 膝の裏をばしばしと音が鳴りそうな勢いで蹴ってくる知佳に、やや大げさながら痛覚に
 訴えかけてくるものについて伝える。
 だってBボタンよろしく連打はいただけない。
 体操着だから足を守るものなんて布一枚無いし知佳は運動靴を装備している。
 若干回し蹴り要素とか入っちゃってて膝カックンどころの威力じゃないんだから。


「ごめん、ごめんって」
 欠片も思ってない単語を口にしつつ、口元は自然と緩んでた。
 だってあれは事故だもん。
 ラッキーと表現するのが一番正確であろう愛おしい事故。



 今の格好からも分かるように、体育があった。
 男子と女子は別に授業する都合上なのかそんなのはどうでもいいんだけど、大事なのは
 隣のクラスとの合同授業ってこと。
 隣、つまり知佳のクラスと。
 俺の心が弾まないわけがない。
 今なら反発係数1なんて軽く超えてしまいそうだ。
 何を授業ごときにと思うかもしれないけどね、俺にとっては重要なことで。
 いつも壁が透けて隣の様子が見れたらと思ってる。


 っで、体育。
 知佳も俺も真ん中くらいの身長で、準備運動のペアになれればそれって奇跡と呼ぶべき
 だなとか思ってました。
 そんくらい夢見たっていいじゃん。
 まぁ結果は最悪。
 人はこれをおしかったというのかもしれないけど知佳の方が1つ後ろだったわけ。
 苦虫を噛み潰したような顔になってただろうね。
 そんくらい真剣に悔しかった。


 これも後々の出来事を知ってれば大したことじゃなかったんだけど。
 人なんて今のことしか見れない可哀想な生き物だからこの時俺はへこんでた。
 態度にも出てたんだと思う。
 体操の後は校庭2周走んなきゃいけなくて、チカちゃんったら何を思ったのか(何も考
 えてないんだろうけど)凄いスピードで駈けていった。
 若いっていいね、と呟いた俺は体操がペアだった奴に軽く肩を叩かれた。


 それなりの速さで走りだす。
 さぼるわけでも全力なわけでもないそんな感じ。
 直線ラインだから80mくらい走ったとき、また肩を叩かれた。
 また落ち込んでたのかもしれない。
 少し振り向こうとすると横に人が来る。
「手ぇ抜いてんじゃねぇぞ」


 体育教師みたいなことを言って俺を抜こうとする知佳の横に並ぶ。
「そんな固いこと言わないでよ」
 明らかに上がったペース。
 そのまま一周、走る。
 こんなこと思うのはおかしいってのは重々承知の上で、1つになったみたいだと嬉しく
 なった。 


 同じタイミングで踏み出す足、並ぶ肩。
 吐き出される息は少し熱をもって粗い。
 誰も今だけは声をかけてこないし、いれてなんかやらない。
 

 それも体育倉庫の前までで、(走った後は各自キャッチボール。今日の種目はハンドボ
 ールだから突き指防止のためにも入念にしなきゃいけない相手は先ほどの体操のペアと)
 俺たちを引き離す「走らなければいけない距離」と「走った距離」ってのは馬鹿馬鹿し
 くも残酷だ。
 誰も俺のことなんか見ちゃいないんだし守る義務だって無いのにね。
 もちろん、ズルするつもりはない。


 何が怖いって知佳が知ってるから。
 俺がまだ1周しか走ってないってことを。
 いつでも見限られる要素におびえている。


 このトラックから離脱してしまうであろう知佳を捕まえたくなった。
 声をかければ振り向いてくれるかもしれないし裾を引っ張れば少しでも一緒にいれる
 かもしれない。
 でもしないよ。
 本当に俺と違う道を選んだ時のためのこれはそう、練習。
 いつも一緒にいれるだなんて思えるほど幸福な思考回路を持っちゃいない。


 こんなことがあっても次の瞬間笑顔でいられるなんて感情の起伏が激しすぎる。
 自分のことをそう評価してみたもののほおが緩むのは止められそうにない。
 敵味方とはいえ知佳と同じ時間を共有できるなんて。
 些細なことにすら喜べる俺はなんて簡単な人間なんだろう。
 自分のことじゃなきゃ間違いなく見下して嘲ってる(自分が馬鹿みたいだとは思う)。

 
 お互い実力は同じくらい。
 ほどほどに運動部はいるし、苦手な奴だって同じくらい。
 背の高さのせいか俺も知佳もサイドだった。
 ここで驚くべき奇跡が起こる。
 ちょうど向かい合わせのポジションだったのだ。
 端と端かもしれなかったのに。
 居もしない神に感謝した。


 
 知佳にパスが回る。
 性格からして攻めてくることは分かってた。
 あ、この言い方じゃ違う意味みたいで楽しい(もちろん譲る気はないけど)。
 バスケと違って少々の接触はありだからこれにかこつけてさりげなく触ろうと思ってた
 けどそんなことしなくてもよさそうだ。 
 突っ込んでくる。
 腕を抑えようと伸ばした手は急激に方向を変えた知佳に触れることは無い。


「「あ」」
 かつん、と小さな音がした。
 同時に前歯に痛みが走る。
 安っぽい表現しか思いつかないけど、時間が止まったようだった。


 何の音もしない。
 動けやしない。
 唇がふわっとしたものに触れて温かい。
 俺、いま、知佳と―





「だからごめんって」
 おやおや、思いだしたのか耳まで真っ赤にしちゃって。
 口に出しはしないけど(言えば怒り狂う知佳にご対面だ)俺の眼差しが物語っていたこと
 だろう。
 とはいえなんかまたこっちまで恥ずかしくなってきて見れたものじゃないけど。


「男はファーストキスに入らないんでしょ」
「っるせぇよ」
 当分まともに知佳の顔を見れそうにない。


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