=断崖絶壁、其の先にメシアは立っていた= 眼球が干からびたようにぎしぎし音を立てている気がする。 それでも不自然でないように瞬きを繰り返した。 間違いを認めたくなかった。 俺の救世主は―。 自分に向けられたわけでもない言葉に言葉はつまる 無性に渇いた喉に唾液を流し込むとむせた。 「な、何がおかしいんですか」 目の前にいる少女は俺が笑ったと勘違いしたらしい。 人の思い違いを自然と利用してしまうのは自分を守るため。 「だっておかしくって、さ」 奇異の目でこちらを見つめてるみちるちゃんは、それでも俺に言葉をかける。 「何がですか?」 知らない場所での知り合いには思わず縋りついてしまうものだ。 新学年、たいして仲が良いわけでない人間とつるむのと同じ理由だと思う。 「そっかぁ…うん、そうだった。 そうだったんだね、みちるちゃん。 俺の運命の相手は君だったってことだね」 委員長の話と自分の体験を照らし合わせてみれば分かる。 「何の話―」 「運命って信じる?」 俺は信じてないよ、基本的に。 そう付け加えて芝怜一朗のシンギュラリテュ特別講座が始まった。 宗教家にでもなった気分だ。 賢くない子にも分かりやすくをモットーに掲げようか。 「運命って言ったら俺たち人間の意志なんて関係なく働く力のことだよね。 なるべくしてなるっていうか…便利な言葉っていうか。 運命だから諦めようっていうやつ。ここまでは良いよね?」 みちるちゃんは小さく頷いた。 使ったことがあるんだろう。 思ったことがあるんだろう。 あくまで予想だけど核心と大差ない予想だった。 「でもね、もしも世界に自分1人しかいなかったとするでしょ。 そんな世界で運命だなんて成り立たないと思うんだ。 対人関係あってこそのものってことかな?」 みちるちゃんの瞬きが増えた。 ぱたぱたと音が鳴りそうなほどに繰り返される。 「誰かと出会ったことが運命だとするでしょ。 なら俺だけじゃ何も出来ないってこと。 出会う人がいなきゃ成立しないんだもん。 俺があの時みちるちゃんに撃たれたことが運命だとするでしょ。 それはみちるちゃんが居ることで初めて成り立つ」 「…根に持ってるんですね」 あれ、わかっちゃった? 「いいや、感謝してるよ。 ―っで、分かった?」 「はぁ、なんとなく」 なんとなくでもまぁ良しとしよう。 みちるちゃんに理解されたいがために話しているわけじゃないんだから。 話を続けた。 「そのね、人と人が存在して成り立つ運命の節々。 それにみちるちゃんは無意識のうちに干渉してしまう。 シンギュラリティであるが故に。 ってことじゃないかな、シンギュラリティであるってことは」 脇役と言えばいいのだろうか。 決して中心に立たないくせに周りは変化の真っただ中に居る。 目立つわけではないのに確かにその存在が運命の隅に佇んでいる。 それがみちるちゃんなのではないだろうか。 少なくとも、俺の人生に、運命の日に2度、この子は干渉している。 鑑賞の方が正しいのかもしれない、1個目は。 今となっては遠い日のことだ。 誰も覚えちゃいないだろう。 俺も今まで忘れていた気がする。 みちるちゃんに中学生の頃、会ったことがあった。 俺や知佳の住んでいる地域には歴史博物館がある。 近くの小中学生がよく社会見学に来ていた。 恐らくそこにみちるちゃんは向かっていたのだと思う。 授業がとっくに始まっている時間、俺は登校していた。 そして道すがら、みちるちゃんとみちるちゃんの担任と思わしき男の人を見かけた。 「すみません、ほんとにすみません」 ぺこぺこと音が鳴りそうなくらいに頭を下げるみちるちゃんを教師は慰めていた。 「ここらへんまで財布はあったんだね」 落としたようだ。 関わっても仕方がないというか関係がない。 そう思っていても何か後ろめたくて道を曲がった。 「水色に白の線が入ってる財布だね」 後ろから聞こえてくることに該当するものが目の前に落ちていた。 「あ、ありがとうございました」 「いえいえ」 「すみませんでした、すみませんでした」 やはりぺこぺこと音が鳴りだしそうだ。 「急いでるんで」 時間にして5分位だった。 いや、もっと少なかっただろう。 ほんの数分、学校につくのが遅れた。 げた箱で、俺はその日、知佳に初めて会った。 赤月知佳のことは同じ学年という程度は知っていた。 「はよ」 別に仲が良いわけでもないから無視してたら挨拶された。 「おはよ」 「教室行かないの?」 俺らの学年は一階だというのに階段に足をかけた赤月に思わず声をかけてしまった。 登校中の出来事のせいで正義感に溢れていたのかもしれない。 俺の割におかしな行動だった。 「授業中に行くとうるさいだろ、だから屋上」 教師のことだろう。 俺はたいてい挨拶させられるくらいだけど赤月は違うのかもしれない。 教師受けがいいはずがない。 俺みたいに勉強で黙らすなんてことはしてないだろう。 「そうなんだ」 …あれ? 「屋上って鍵かかってんじゃ?」 南京錠がかかっていたはずだ。 「特別に教えてやんよ」 「扉の横の窓、屋上に降りれるんだぜ。 鍵壊れてっから締め出されることもねーし」 数か月後、初めて授業をさぼった時、思いだしたその言葉を頼りに屋上にあがった。 「俺、みちるちゃんを好きになるべきだったんだね」 俺を変えてくれた知佳。 感謝はいつしか淡い恋心に変わっていった。 もともと惚れっぽかったんだろう。 知佳がいなければみちるちゃんでも良かったなと思う。 「みちるちゃんを殺すべきなんだよね」 俺を撃ったみちるちゃん。 死神になったのは俺の力でも知佳への想いでも無い。 それでも、気持ちは変わらない。 俺を救えるのは、あいつだけ。 <<