=心臓側の傷= 左手を治療しようとする由詩の腕を振り払った。 「チカ、僕たちゾンビなんだから人間みたいな自然治癒力は無いんだよ」 言い聞かせるような由詩の声に思わず舌打をした。 「んなこた分かってんだよ」 「じゃぁ治させてよ」 食い下がってくる由詩にいらねぇ、と一言だけ返す。 理由を聞いてくるからとっさに思い浮かべた言葉を吐きだした。 「こんぐらいの怪我に金使いたくねぇんだよ」 「もー、亡者だなぁ」 苦笑とはこんな顔を言うのだろう。 「なんとでも言えよ」 その表情に芝を思い出した自分が酷く憎らしかった。 「…死者は蘇らないんだよ」 二度目はさすがに無い。 言外にそう滲ませたのであろうメッセージがはっきりと聞こえた。 「僕の話、したことないよね」 話の流れについていけなくて瞬きを三回し、曖昧に相槌をうつ。 「そういや―そうだな」 「少しだけ話させて」 僕の、話。こうして由詩の生前の話が始まった。 月が厭味なまでに明るく光る夜空の下。 屋根も何もない廃ビルの屋上で階下とこの地をつなぐ階段を覆う壁に寄り掛かっていた。 左腕からはなおも鮮血が滴り地面に小さな泥濘を作っている。 「要はね、殺人犯なのかな、僕は」 くるりと回りながら由詩は話し始める。 「驚いた?驚いてくれなきゃ困るんだけどさ。 あ、でもこれは半分冗談。半分は何物にも代えがたい真実。 偶発的なことで僕は親友を殺しちゃったんだ」 「…親友?」 その言葉にひっかかる。 「そう、親友。僕が勝手にそう思っていた可能性もあるけどともかく親友」 違う単語に再度身体の一部を抉りだされる様な感覚を覚えた。 「名前は音楽の音に恋愛の恋、貫通の貫に常時の常。音恋貫常。 僕はカンカンって呼んでたんだ」 「猫犬狐?それにカンカン?どこにカンが入ってんだよ」 慰めようというのかはぐらかそうというのか。 どちらにしろ自分の望んでいるような話では無いことに気づき口調が荒まる。 「漢字、ちゃんと説明したじゃん」 「…だいたいそれ本名かよ」 「ってゆうか僕がつけたし」 「ペットの名前か?」 「違うよぉ、お稲荷さん」 「像かよ。あれ狐だろ」 現在の友達らしい左手のコンコン。 それならまだ理由は分かる。 それともその神社は狛犬と狐の像を同時に飾るような新興宗教の神社だったのだろうか。 足りないと自覚している頭で適当に推測した。 「違うんだな、そこは。生物の分類の仕方習わなかったの? キツネはね、動物界脊索動物門脊椎動物亜門哺乳綱ネコイヌ科キツネ亜科キツネ属だよ」 心底どうでもいい。 「っでそいつを…殺した、って?」 「破壊しちゃったんだよ、正しくは。 反抗期だったのかな? もともと片方しかないボロ神社だったんだけどね」 「僕は親友を殺して、後悔した。だってカンカンは死ぬことなんてなかったんだから」 幾つも該当するキーワード。 今複雑に渦を巻いている感情の一部をはっきりとした形で垣間見た気がした。 でも違う。 明らかに、完全に、まったくもって、違う。 「チカ。自分とは違うって思ったでしょ? 親友を助けられなかった自分と僕は全然違うって」 「………」 「僕もそう思う。だけどね、続き位聞いてもいいと思わない?」 返事はしなかった。 ただ、どこかへ行く様子もないオレに由詩はありがとうと呟いた。 「たった一人の親友を僕は無くした。 自暴自棄になって自殺しようと何度もしたよ。 僕はチカ達と違って生きたいだなんて思ってなかったから。 今も対して思ってないしね」 怒らないでよ。 投げかけられた言葉に出血多量が原因か自分の意識が遠のき始めていることに知佳は気 付いた。 「ある日僕はね、死んじゃった。 ただの偶然でしかありえない天文学的な確率で事故に巻き込まれたんだ。 笑っちゃうよ。 ニュースとかであるでしょ、不運としか言えない死亡記事。 何の罪もない人が死んじゃうの、いとも簡単に。 なのに僕みたいな人間は生きてるんだ。 世の中はなんて不平等なんだろう。いっつも思ってた。 そしてまさにそれにぶち当たった時、僕は思ったね。自分じゃ死ねなかった、って。 悲しかったよ、非力だって思い知らされて。 嬉しかったよ、やっと毎日を生きなくていいってわかって」 「でも生き返った」 「そう。そうなんだ。鼈甲さんの審査基準に明らかに僕は該当していないって言うのに」 「世界は皮肉すぎるんだよ。僕を必死に生かそうとする」 「僕にゾンビという特殊生命体を治療する力を与えたんだ。 鼈甲さんが言うには珍しいらしいよ。だから僕はこうしてここに居る」 「胸糞悪いでしょ?」 腹がたってるんだったら殴ってもいいんだよ。 そう言われても何に腹が立っているのかわからない。 だから動けなかった。オレは、動かなかった。 「あくまで仮定だけど僕はカンカンを殺したせいでこの力を得たと思ってる」 「僕が傷を治すのは贖罪なんだよ」 ほら、ほんとは傷口見てる方が好きだし。 今までの空気を払しょくするように由詩はへらりと笑った。 親友を思い出させた。 「だから治させて」 親友をかばって得た風穴を。 親友を地にあげたくて掴んだ手によって広げられた風穴を。 「俺にとっても…これは、贖罪なんだよ」 治させねぇ。何度も何度も叫ぶように繰り返す。 「そんなので日常生活なんてできると思う? 完全には治さない。痕は残す。だから治させて」 「消したく…ない」 わかってる。だから僕は生きている。 そう言いそうになった言葉を由詩は小さな声で言った。 「きっと僕たち親友になれるよ」 ならないけどね。 滑稽だから。 「や―――だね」 今にも泣きだしそうな顔をしてるだろう。 わかってる、自分でも。 左手を差し出した。 <<