人使い粗いよな、あの人。 オカマモードで話しかけてきた薄荷を思い出しながら芝は1つ、溜息をつく。 「事務所のパソコン壊れたの。 あんたそういうの得意でしょ? 直してくんない?…命令だがな」 「あー、やだやだ。 知佳に会ったらどうしてくれんだろ」 Aローンの事務所はZローンと道路一本挟んだ位置にある。 その道路の真ん中で親友の影が無いことを確かめながら佇む芝の姿があった。 かつて数日ではあったがこの界隈にはよく来た。 ほんの少しの時間では街はなかなか変わらない。 今日とて赤と白の飾りがついているだけであの頃とたいした違いは無い。 感傷もそこらへんに芝は階段を登り始めた。 割と綺麗だ。 自然と向かいのビルと比べている自分に苦笑する。 「ほんと…やだやだ」 足音がして振り返る。 「げっ」 やけに古風な驚き方に普段なら笑ってしまうところだが今回はそうもいかない。 自分が同じような反応をしなかっただけで褒めてやる価値があると芝は思った。 修司は先日の事を忘れたように横をすり抜けていった。 確実に覚えているくせに。 かく言う芝は忘れやしなかった。 修司に吐き捨てられた痛烈な言葉を。 悔しいような可笑しいような気分になって芝は階段を駆け上がった。 閉じかけのドアにすべり込む。 修司が薄荷に抱きつかれていた。 チラリと見える首元に変な汗が滲んでいるのが見える。 心の中で御愁傷様と唱えてしまうのを芝は止められなかった。 「あらー、いらっしゃい。 来ないかと思ってた」 わざとらしく驚く薄荷に芝は返す。 「俺、約束は破らない主義なんですよ」 「薄荷さんのお知り合いの方ですか?」 ひょこりと現れた兎子が薄荷に問いかける。 「壊れてるのあれだから、お願いねん」 「…了解」 綺麗に無視された兎子は気分を害した顔をしていなくて、芝は末恐ろしい空間に迷い込 んだような気になった。 例のパソコンは問題なく起動出来た。 芝はほっとする。 パソコン本体の問題な場合、直せる自信が無かったからだ。 あくまで専門はプログラミングなのだ。 そんな理由が薄荷に通じるわけがない。 「どう?」 息がかかるほど近くで問われる。 肩に顎が置かれているから振り向かないように気をつけて答える。 「どうにかなりそうですよ」 「それならいいの」 アップグレードをし忘れているだけだった。 少し面倒くさいが簡単にできる。 「薄荷さん、IDとパスワード何ですかぁ?」 それさえ打てば自動でどうにかなりそうだ。 「そんなの忘れたわよ」 それはそれはもう偉そうに答えられた。 「…説明書、どこですか」 もしかしたらメモしているかもしれない。 無くても文字数の制限である程度絞れるかもしれない。 「捨てたわ」 死刑宣告より酷いものを聞いた気がした。 首が油を差し忘れた機械のように音を立てて回る。 「嘘…」 「IDはaloanっスよ」 声の方を向いてみると修司がソファに座りながら音楽を聴いていた。 「基本的にパソコン関係してたの俺ですからね。 ただパスは薄荷さんが誰にも見せずに打つんで知りませんけど」 「だってぇ、パソコンとか分かんないんだもん」 じゃぁ全部任せとけよ、と言いそうになる口を芝は必死に呆れた笑顔に変える。 「しっかりしてくださいよ」 「ごっめ〜ん」 薄荷に構う事をやめ、ネット上で愛好家のサイトを漁る。 何個か探してパスワードの文字数が判明した 「半角英数で4〜8文字、ね」 計算しかた自分に芝は嫌気がさした。 膨大な数であることは間違いない。 「くれんの?」 目の前に綺麗に包まれた箱。 問いに修司は無言で頷く。 先ほど作った自作のハッキングソフトが4桁の照合を終えた。 パソコンの容量が狭すぎて重いソフトは使えない。 その分処理が遅くて芝はうんざりしていた。 うっぷんを晴らすように包み紙を破いていく。 中身はチョコレートだった。 ソファを隣まで引きずってきた修司はその上で鞄の中身を漁っている。 日はとうに暮れ、事務所には二人しかいない。 チョコレートを口に入れてあまりの甘さに芝は顔をしかめた。 横では修司が机の上にどんどんチョコと思われる包みを積んでいく。 「帰んないの?」 「あんたなんかに事務所は任せられない」 嫌われたものだなと芝は甘さも忘れて苦笑いする。 「そんなに俺のこと嫌い?」 「えぇ」 前よりは少し、マシっスけどね。ともすれば聞き逃しそうな声で修司が言う。 以前、初対面だった芝に修司は言った。 「嫌いなんすよね、あんたみたいなの」、と。 それよりましということはどういうことか芝には分からない。 普通、またはどうでもいい、位には格上げされたのだろうか。 「俺のこと抱きたくなったとか?」 茶化すように聞いても修司は反応を見せない。 面白くなくて芝はチョコレートをまたひとつ口に運んだ。 「ま、冗談はこの位にしてさ。 モテるんだね、鶫修司くん」 包み紙の間に挟まっているカードをチラつかせた。 「義理でしょ、こんなの」 興味無さ気に芝の手元を見遣って、またすぐ視線を落とす。 俯いた顔が自嘲めいた表情になったのを芝は見た。 身体が勝手に動く。 気が付くと修司の膝の上に向かい合って座っていた。 「…何してんすか」 まったくだと芝も思う。 右目にかかる髪を耳にかけて口づける。 修司の唇からは甘い匂いが漂う。 双丘に修司の足を割り込ませ、角度を変えて再度口づけを落とした。 「っふ……ぁ……」 膝が普段男のものを咥え込む場所に当たり芝の口からくぐもった声が漏れた。 その声に我を取り戻した修司は芝を押しやる。 押された芝はソファのすぐ前に運ばれた机にそのまま倒れた。 背中からぐしゃりと紙やビニールが折れる音がする。 「それあげますから」 その言葉に己の背中がつぶしたものがチョコレートであると思いだす。 「アレルギーでも起こして死んでください」 1つだけ手元に置いてあった「修司へ」と書かれた包みを鞄に入れて修司は出ていった。 沈黙だけが残される。 修司の顔を思い出し、頭の中でだぶっているのに思い出せない誰かを考える。 立ち上がった芝はふと窓の外を眺めた。 向かいのビルの灯りは消えている。 窓に映る己の顔に力なく微笑みかけた。 寸分違わぬ疲れた顔が映る。 パソコンからパスワードが見つかった音がした。 allergieの文字が点滅している。 人の表情に過剰に反応してしまう自分を揶揄されているようだと芝は思った。