ひゅんひゅんと物が振り回される音がする。 振り向かずに芝は声をかけた。 「日本…来てたんだ」 「うん、ちょっと用事あったんだわ」 ふと背中が暖かくなって抱きしめられたのだと分かる。 芝と紅棍が今の関係になったのは数か月前だ。 彼岸人に近づこうとする徐福の命で紅棍はZローンを見張っていた。 建物から出てきた瞬間に鼈甲をとらえようとしたのだ。 何度か人を同伴して通ったが決して隙がなかった。 事務所に乗り込んでもいいのだが思徒に見つかるのは厄介だと思い実行できずにいた。 そこに芝は現れた。 いかにもな格好の上に生臭い血の臭いを漂わせて。 噂には聞いていたものの初めて見る死神に胸が高鳴る。 仕事を放り出して紅棍は後をつけた。 死神はどんどん人影のない方に歩いていく。 およそ察知する範囲には人がいないことを確認して声をかけた。 「あんた死神っしょ」 驚いたように振り向いた顔は意外と端正で紅棍には罪人に見えなかった。 ぶんと振られた鎌をヌンチャクの鎖の部分で止める。 わざと避けずに。 己の強さを無性に誇示したくなったのだ。 「ケンカとか好きくないんだよねー。 飯とかどう?俺ハラ減った」 わざと話題を逸らす。 芝は無言で指をさす。 入り組んですぐ先も見えない路地を。 「安くしよっか」 ビルの奥からけばけばしい光が漏れている。 それを見た紅棍は一瞬考えた後、首をふった。 「ファミレスとかが良いんだけど」 返答に意外そうな顔で頷いた芝から何か血にまぎれて臭いがしていたことに気づく。 「殺される趣味とか無いしー」 「それは残念」 そのあと本当にファミレスを探す紅棍に芝は呆れるを通り越して驚いていた。 手首を痛いほどに掴まれてかさぶたが割れるのを知覚した。 振り払おうにも逃がす気は無いらしく肩を組まれる。 肩に回された手を払えばまた手首に手はのびる。 何度も繰り返してからようやく芝は手首で妥協することにした。 「んでさー、董奉哥、あ、董奉って知ってる? ってか徐福って知ってんの?あ、知らない。 まぁ…島国だしな、ココ。でもショックー、知っとけって」 友達のように一方的に話す口元をぼーっと見詰める芝に紅棍は自分の上司でもある糸目 の男について語ることをやめた。 「無視ですかー、俺の話なんて吹き抜ける風ってか。 おいおい、そりゃねぇよ、何?なんか俺に恨みでもあんの」 「…スプーン」 「はぃっ?」 そっと指差す先にはスプーンを持つ紅棍の手があった。 己の手と芝の指先を交代で見つめながら紅棍の口は開いたまま閉じない。 「ピラフ、スプーンなんだ」 「…いや、ピラフはスプーンっしょ」 「レンゲかなって」 一瞬考え込んで自分が中国人であることは話したのだと思い当たる。 「こーゆー安っぽい飯はスプーンで良いんだって。 だいたい日本の蓮華じゃ食いにくくね? それにあんたこそ箸使えよ、日本人」 スパゲッティーをフォークとスプーンで食べるのはおかしいのではないかと思い、言い かえす。 「そういや…そうかもね」 「ちょっ、ぼっとすんな、袖、そで付くって」 紅棍も大概自分のサイズより1つ大きいくらいの服を着るが袖に食べ物がついているほ どかっこ悪いことはなかなか無いと思っている。 スパゲッティーのスープに浸かりそうだった袖の下にさっと指を入れる。 もう片方の手も伸ばし子供にするように袖を折る。 食べ物の匂いに交じって新しい血の臭いが、した。 「なに、コレ」 布が破れる音がしたがそんなことには構っていられない。 紅棍は見慣れたはずの血を見て混乱した。 今まで生きることに必死な人間ばかりを見てきた。 それが汚い手段であろうと愚かな方法であろうとだ。 袖を限界までたくし上げ眺めた。 模様のように一定間隔につけられた肌の切れ目を。 7つずつかさぶたになっては生々しいっものに続く段階が繰り返される。 芝は平然と袖を抑える腕を振り払って布の中に隠した。 それからだ。 紅棍が芝の元によく訪れるようになったのは。 デモンストレーションのように戦い、疲れたら抱き合う。 自分のつけた傷を開きながら。 芝がつけた傷には一切触れない。 「自分じゃここまで出来ねぇダロ?」 傷を開く行為は続く。 思いのほか慈しむ声になっているとは知らずに。