これまでの記憶は一切ない。
 ただ、皆本が目の前で何ら警戒することなく眠っている。
 それだけ、だ。

「皆本…くん?」
 ああ、少しずつ記憶が戻ってくる。
 今日は珍しく俺の部屋に皆本がいるのだ。
 訪ねて来ると知ってからの俺はそれはもう馬車馬のように働いた。
 自分の番では無かった夜勤までこなした。

 今日こそは誰も邪魔してくれるなよ。
 チルドレン中心に廻っている皆本の世界と、約束をした。
 彼女たちが大人になったら、付き合おうと。
 子供みたいな幼稚な内容だと当時は思った。
 それでも最近までずっと耐えていたのだ。
 ところが皆本とそういう雰囲気になりそうな日やなった日に限って用事が入る。
 緊急オペに始まりはては爆破テロの予告だ。
 さては誰かが邪魔をしようともくろんでいるのではないかと疑い始めていた。
 ちゃんと理論だてて考えれば邪魔をするような人間なんていないのだが…たぶん。

 そして今に至る。
 少し飲み過ぎたようだ。
 ゆっくり酒をあおるような機会のない皆本にと用意していたワインを開けた。
 シャンパンだとはしゃいでる様な気がしたからだ。
 缶ビール以外なら喜んでくれると分かっていたのに。
 皆本のことだ、水でもあの優しい笑みを浮かべてくれたに違いない。

「夢の見過ぎか」
 案外、皆本は容赦ない。
 特に最近チルドレン達に気を使いまくってるせいでこちらへの風当たりのきつさったら無い。
 少しでもくだらないことをすると何かしらが飛んでくる。
 忙しい合間を縫ってきてくれたのに水道水なんて出してみろ。
 いや、いくらなんでも出さんが。
 
 つまらないことをうだうだと考えているのにはわけがあった。
 あの皆本が、無防備に、寝ているのだ。
 子供のように恋をしてしまった相手が、2人きりの状態で、眠っているのだ。
「皆本…」
 声が情けなくも震える。
 自覚すると手の震えがひどい。

「俺、ガキみたいなんですけど。
 ほんと皆本くん起きて、頼むから」
 このままだと何かしでかしてしまいそうだ。
 性的でなく。

 恥ずかしい。
 何が恥ずかしいかって、自分の存在が。
 痛いくらい動揺する全身が。
 
 一度大きく息を吸って、はく。
 目を堅く閉じて、開く。
 仕事の折りに触れたことのある金塊の時もこんなことにはならなかった。
 初めてトリガーをひいたときなんてむしろ落ち着いていたように思う。

「好きだ」
 掛け布団を離さない手に掌を重ねる。
 跪いて肩口に顔をうずめた。
「好きだ」
 壊れたみたいに何度も口を衝いて出る。
 伝えたいことがあるはずなのに他の言葉が思い出せない。
「僕もだよ、賢木」
 顔を上げると目があって―






「あら、起きたの、おはよう先生」
「………」
 見慣れた部屋の天井が見える。
 視界の端に紫がかった糸がちらつく。
「あえて言わせてもらうと、お誕生日おめでとう」
「なんで紫穂ちゃんが」
 もう随分となっていない二日酔いを思い出した。

「先生の誕生日を祝うため前日から押しかけてきてるザ・チルドレン、です」
「ご丁寧にありがとう」
 どうやらそういうことらしい。
「夢か」
「夢よ」
 即答だった。

「予知能力あったっけ?」
「顔に書いてあるもの。
 もとい、私が仕組んだんだもん」
「だもんってなぁ…」
 近頃、本気で子供相手に腹が立つ。
「先生も子供なのよ」
「朝から容赦ないな」
 今度は普段の能力だったので驚かなかった。

「楽しくなかった?」
「何が?」
「夢、が」
 どうだっただろう。
 やけにはっきりと内容は覚えている。
 だが、どこか遠い。

「賢木は起きたか?」
 返答に悩んでいる間にエプロンをつけた皆本がやってくる。
「お誕生日おめでとう」
「ん、サンキュ」
 朝メシはパンか米かと聞いてくる皆本に米と答えながら考える。

「好きだぜ、皆本」
「僕もだけど…なんの話だ急に」
 まだ寝ぼけてるんじゃないかと頭を軽く叩かれる。
 俺は接触の悪い家電じゃない。 

「悲しい夢でも見たのか?」
 指でそっと流れていたらしい涙を拭いとられ、ただ首をかしげた。
「朝から濃いもの見せつけないでくれる?」
「どうした紫穂」
「…一般論を言ってみただけ、意味は無いわ」

 几帳面に折りたたまれたハンカチに己の涙が吸い込まれるのを見て、
 さっきは悲しくて泣いてたわけじゃないんだろうなとなぜか確信した。
 それだけわかれば十分だった。


 <<