「み…皆本くん?」
「なんですか賢木さん」
 うっかり数年前のコメリカにタイムトリップしたがる気持ちを抑えつけ、現実を直視する。
「今日はご機嫌ななめ、なのかなぁっとか思ったり」
「たり、という言葉は物事を羅列する時に用いる単語であって2つ以上の原因に思い当たった時に仰ってください」
「怒ってるよね、怒ってんだろ?」
「キレてないですよ」
 中途半端に少し昔のギャグをかましやがった。

「人間同士、言葉に出さなきゃわからんこともある訳で」
「君が何をしたか自覚していないところが問題なんだろう?」
 ほら、と腕をこちらに投げ出すように差し出される。
「なに、これ」
「腕だけど」
「そんぐらいわかるって」
「手の甲なんですけど?」
「いや、それはわかってるって」
「わかれよ」
 一瞬、別れようと聞こえて動けなくなる。
 違う、分かれ、落ち着いて理解しろ。
 そういうことだ。
「君は…君はサイコメトラーで、僕が、君に、腕から読み取れって言ってるんだけど?」

「それは出来ない」
 長い時間と労力をかけて皆本と恋人と呼ばれる関係になり、決めたことがある。
「俺はお前のことは視ない」
 もちろん緊急事態だとか職務中なら話は別だがこうして完璧にプライベートの時のそれはよしとしない。
 これはなにも付き合いだしたけじめという訳ではなく、無意識のうちに決めていた。
「それじゃぁまるで、お前のことを疑って…るみたいじゃあないか」
 胸を張って言うには、なら以前はどうだったんだと言われかねないことなので聞こえる範囲でしか声にならない。

「………そうか」
「うん?ま、わかってくれればよいんだ」
 こちらが悪いらしいということは棚に上げてつい強気に許してしまう。
 それにしても皆本を怒らせるようなことをしたか?
 台所へと向かう後ろ姿が見える。
 チルドレン達は友達の家にお泊りらしい。
 
「今頃あいつらどうしてるかな」
 ひとり言なのだろう、穏やかな口調で彼女たちを思っている。
「ちゃんとご飯食べてるかな」
 コンロに火が付く音がして、キッチンのすぐ出たところに座り込んだ。
 今日は隣で一緒に料理だなんて雰囲気じゃないだろう。
 だからと言ってテレビを見るだとか新聞を読むだとかしても皆本が気になって集中できない。
 もとい、そんなに図太くない。

 芳ばしい香りが漂って、細かく刻まれたニンニクがフライパンの中ではねる情景が浮かぶ。
 嗅覚だけでなく聴覚までが刺激されるのはちょっとした才能だろう。
 それだけ皆本を見てきたということかもしれないが。
「今日のメシなに?」
「賢木さんの大好きなものだよ」
「…あれ?」
「何か言いましたか」
 まだ怒っているらしい。

 泣きつくか。
 みっともない選択肢が真っ先に出てきた。
 本当に心当たりが無いんだ。 
 自分で言うのもなんだけれどナンパはいつものことだし、けれど琴線に触れそうなことはそれだけだし。
 あぁ、とうとう愛想でもつかしたのか。
 今日は何をしたっけな。
 受付の2人に挨拶をして、数日ぶりに会った柏木さんのスーツを褒めて、うん、いつも通りだ。
 谷崎さんがザ・リトル・マイスに構いきりで寂しそうなナオミちゃんに忠誠を誓ってみたり。
 わたしのナオミだとかなんとかうるさかったな…。
 つい現実逃避のように日中の風景を楽しみだす。
 同じ職場の同僚だから完全に切り離されることは無いにしろこの関係はリセット、はいおわり。
 座り込んだまま目をつぶってしまいたい衝動に駆られる。
 あ、やべ、泣きそう。

「賢木、出来たぞ」
「あ、うん」
 スパイスの香りが漂う。
 やはりチルドレン達がいるとどこかしら柔らかい味になりがちである。
「赤いな」
「唐辛子とか醤の類が山ほど入ってるからね」
「え、お前食べないの?」
 皆本の手には赤い物体が入った皿が鎮座ましましている。
「僕は昼食が遅かったからね」
 一緒に食べたよな、昼に。
 12時過ぎに弁当食ってたよな。

「食い物を粗末にするなんてお前らしくねぇぞ」
「賢木さんが食べれば大丈夫です」
 また敬語に戻った。
 泣けと言うのか。
 涙を流せと仰るのか。

 皆本のもとから皿を机の上によけて手を握る。
「な、なんだよ」
「なぁ、皆本」
 この場は誤魔化そう。
 色仕掛けというと語弊があるが皆本は流されやすい。
 あまりつけ込みたくは無いのだがこの際、仕方が無いのだろう。
「そんな、ナオミちゃんみたいに掌にキスされても誤魔化されないぞ」

 あ、それか。
 キスってほどのもんじゃないだろうが皆本はそうは思わなかったようだ。
「悪かったって、俺の姫」
「誰が姫だ」
「女声低音部?」
「版権ネタはダメです」
「葵ちゃんにも言われてただろ」
「う…」

 そっか、やきもちか。
 わかってしまえば簡単なことだ。
「あれは挨拶だろ」
「どこが―」
 まだ反抗してくる唇をふさいだ。
 掌から腕、首へと手を這わせる。
 ぴくりと喉が揺れた。

「息、詰めんなって言ってるだろ」
「…ぅ、はっ………だって」
 言い訳ごと覆ってしまう。
 一方、俺はほっとするとともに少しばかり心の狭い自分と向き合っていた。
 唾液でぬれた皆本の下唇を柔らかく食む。
 そのまま噛んだ。

「痛い」
「リアクション薄いな」
「お前の人の唇をかんだリアクションほどじゃないよ」
「あ、わり」
 悪気があった訳じゃないんだ。
 いや、嘘だけど。

「さぁ皆本くん、晩飯にしないか」
「沁みるんだけど」
「え、食わないとか言ってなかったっけ」
「…ちょっとした冗談だよ」
 キッチンから少し赤味の薄い皿を持ってくる。
「僕が辛いものを食べたかっただけなんだ」
 賢木のは別につくってあるから。

「すみませんでした」
「いや良いよ、僕も悪かった」
 ありがとう皆本…ってその手に持ってる唐辛子の束は一体!?


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