この世に希望があった訳じゃないんだ。

「静信…おい、聞いてるのか。
 お前、静信だろう、返事をしろ」
 電話から聞こえる敏夫の声。
 否、違うな、電話から聞こえる気がする声。
 久しくかの級友からのベルは鳴っていない。
 おおよそ、以前のようにかけてきたりはしていないのだろう。



 いつもそうだった。
 僕から彼に電話をかけたことは数えるほどしか無いのだ。
 自分から彼を繋ぎとめられたことはおおよそない。
 彼は彼で忙しい身だからまず、夜になる。
 ところが僕は人生すべてが終業時間でもある。
 気負うことは無い。
 仕事は仕事と割り切れば良いのに人生を絡めてしまっている。
 僕の人生は仕事だ。

 必然、時間があかない。
 電話をかけてまで話すようも思いつかない。
 開いた昼にでもふらりと敏夫の家に寄れば良い。
 よっぽど忙しくない限り構って貰えることだろう。

 構って貰うだけの人生だった。
 彼に認めて貰うことしかなかった。
 本当にそれだけの僕ではないと分かっているけれどそう思っていた。
 彼がいなくては僕もいない。
 僕がいなくても敏夫は居る。
 背後霊のようだ。

 昔、背後霊と言われたことがある。
 本当に昔のまだ学校に通っていたころである。
 僕がいつも敏夫の後ろを歩くものだから人はそう呼んだ。
 言われて嫌な気もしなかった。
 むしろ上手いこと言うものだと思っていたのだから僕は生粋の三文小説家だったのかもしれない。



 電話が鳴る。
 誰からの物かは分からない。
 ただ、敏夫ではない。
 彼とはきれてしまったのだ。
 僕は彼に追いつけず彼は僕を見失った。

 さようなら。
 そんな言葉もおかしい身の振り方になる訳だけれど。
 せめて一度くらいは言っても良かったのかもしれない。
 君との別れの言葉はいつも、また、だったのだから。

 はたまた僕は死なないのだろうか。
 屍鬼と呼んでいるものたちは、沙子は僕を休ませてくれるのか。
 彼女は分かっているはずだ。
 僕にはもう、いらないのだと。
 もっとも楽な方に、下に、下にと流されていくだけで。
 本当は死にたい訳でもないのだろうと分かってしまうのだろうか。

 腕の傷を見る。
 彼女に指摘され彼にはとうとう触れられることもなかった傷。
 まるで異教徒のようにそこに唇を落とし目を瞑った。


「さようなら」


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