ものすごく怖いものを見た。
 夏野が奥さんで俺が旦那さんで夏野似の癖っ毛な子供がぱぱぁとか呼んでくる夢。
 怖い話は人に話せば拡散する気がしていたけれどこれはない。
 ありえない。
 っていうか人に話せない。
 せめてもの救いは夏野が正真正銘、男の子だったこと。
 いや、それで子持ちってどうだろうって話だけどなんだかほっとした。


 ふと気がつけば朝で、気がつかなかっただけでカラスがものすごい勢いで鳴いている。
 これに起こされたんじゃないだろうか。
 だなんて現実逃避をしつつちらりと時計を見れば、定位置に無い。
 ふっと下を見ると床に綺麗に転がっていた。
 目覚ましも鳴っていた。
 あ、母さんがなんか言ってる。
 現実を薄れさせてしまうような夢を振り払って、しがない社会人である俺はハンガーに掛
 けてあったシャツをはおるのであった。


「今日さ…」
 出勤時間はどこへやら、夜方のことである。
 家に帰ると夏野がさも当然と言わんばかりに俺のベッドで本を読んでいた。
「キスってやつを初めてした」
「はぁっ!?」
 何を言い出すんだこの子は。
 口に何も含んでいなくて良かった。
 噴水もしくはスプリンクラーの如く盛大に噴き出すところだった。


 夢が勝手に再生し始める。
 したよ、確かにした、いってきますのちゅー。
 …じゃなくて。
「誰と?学校?クラスメート?まさか教師じゃないだろうな」
「いやいや、徹ちゃんのゲームじゃないんだから」
「違うよ、あれは。
 ハートウォーミングな女の子とのふれあいを疑似体験しようって言うゲームだから」
「それをギャルゲーと世界は言うんだよ、この空間の人間と恋愛しろ」
「ですよね」
 その通りだよ夏野さん、俺はきっととんでもない方向に性衝動が向いている。


「っで誰とちゅーしたって」
「その言い方なんかオヤジ臭い」
「話題逸らさない!」
 大事なんだから。
 だって俺の夏野のファーストキスが奪われ―
 あれ?なんだか今おかしなこと考えたような。
「太郎」
「男と!?」
 今度こそ危なかった。
 あと数秒後に茶が口に入るところだったからね。
 気休めに飲もうとしたのにとんだ災難になるところだった。
 吹くよ、漫画みたいに、鯨の潮吹きよろしく。
 …潮吹き?ま、まさかキスされてそのあとも奪われたんじゃ―
「そいつ何処住んでんの、ちょっと俺会ってくるから」
 そして成敗してくる。


「いや、たしかにオスだけど。
 …ん、会いたいのか?徹ちゃんそんなに好きだったっけ?
 ほら、あの看護婦さんの、どっちかというと若くて髪の長い」
「ま、まさかツバメとは」
 そのくせ夏野を狙うなんてなんて奴だ。
 かわいそうに夏野、純情を奪われて。
 どうやって慰めようかと顔を眺めるとそれはもう「何言ってんのコイツ」みたいな顔をね、
 してたわけなんです、俺、心配してるのに。
「何言ってんの、犬だって、国道通った時に舐められたって話」
「………あー」


 わかった。
 分かっちゃったよ。
 俺、夏野のことが好きだ、性的に。
 もちろん心って言うか精神的にもだけど。
「急にテンション下がったな」
 

「夏野も男の子だね」
 ワイ談で純情な幼馴染をからかおうとするなんて。
「女に見えてんなら眼科に行け」
「ばっちり男の子だって知ってるよ」
 ほら、一緒に風呂にだって入るような仲だもん、裸だって見慣れてるし。
 くっきりはっきり思い出せるよ、腰の細さとか背中がすーって通ってる所とか。


「何落ち込んでんのさ」
「いや、俺ってば無意識のうちによく見てるなぁって」
 好きだって気づいたの今なのに。
 目に焼き付けるように夏野の裸体とか寝顔とかいっそ現実で起こったはずがない甘えてく
 る姿とかさえまぶたの裏にこびりついて離れない。


「やっぱ好きだな」
「…犬が?」 


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