急に童謡が走る、頭の中を。
 風で揺れる小山から少し離れた場所の歌を聴くようなどこか雑音混じりのそれ。
 木々に生い茂る葉と葉との接触を雑音と言い換えてしまうほどに自分の精神状態が良く
 ないのだということに気付くべきだった。
 そんな些細なことで気付かなければいけなかった。
 次に目を開いた時、数日前に切り開かれた腕はまた小さく肉を覗かせていた。


 夢を見たのだ。
 映画の回想時に使われる効果のように記憶をかき分けて聞こえてくる歌。
 誰が歌っているのかは男女すら推測できないし興味もない。
 ただ聞こえることに意味があるのだ。
 夢とは意識の底に眠っていることを再生するものである。
 だがあいにく童謡事態に何も感慨は分かない。
 せいぜい「なつかしいな」と思うだけだ。


 それとも暗示か。
 自分はこの先も結んで開いてと歌詞のように繰り返すのだろうか。
 人体が損傷を再生していく様を眺める行為。
 縫合するように斜めに張られていく糸。
 引かれるようにくっついていく傷口。
 身体の内を見せまいとするかのように覆うかさぶた。
 そしてまた、開く。


「悪い冗談だ」
 敏夫に言ったらなんて言うだろう。
 遠くに行ってしまった親友を思う。
 会えないわけでも話せないわけでもない彼に思いをはせる。
 医者の卵に言えるわけが無い、ましてや敏夫に。
 自分の腕に切り裂いた跡があるなどと。


 傷が治るのと同じように心も鎮静化されていく。
 激情とおそらく呼ばれるであろうものに出合ったのは過去に一度きりだ。
 その高ぶりだけがぶりかえり内側を荒らす。
 傷口を開く。
 あれから一度も己の身体に刃を立てたことはない。
 そう、一度もだ。






 時は流れる。
 ただ、傷痕は残っている。
 それだけが形ある事実なので噂は絶えない。
 村人たちは刺激に飢えている。
 目が冴えている。


「俺は生憎と内科が専門な訳だが」
「知ってるよ、敏夫が万能なことは」
 そして噂を聞きつけてわざわざやってきたことも、だ。
 いつか来ると思っていた。
 いつか知られると分かっていた。


「天賦の才のように言ってくれるな」
「でもお前は努力してると言われるのは恥ずかしがる」
 その通りと煙を吐き出し、一呼吸間をおいた。
 話を切り出すタイミングをうかがっている。
 自分で墓穴を掘るほど親切な人間でもない僕は黙ってそれを見ていた。


「…それは当てつけか」
「まさか」
 心当たりは山ほどあるのだろう。
 僕もだ。
 お互いにこの曖昧な距離がどこかで歪みを現す日が来ると知っていたのだろう。
 でも今回は関係のない話だ。


「むすんでひらいて」
「童謡か」
 とっさの話題転換ともいえる突飛な言葉に反応してみせる敏夫に感心しながらも、首肯
 してみせる。
「きっと昔、一緒に歌ったね」
「だろうな」
 あまりに些細なことで、あまりに有名な歌だから記憶としては残っていない。
 そんな事実はあったかもしれないし、無かったかもしれない。


「そんな感じ」
「お前の話は抽象的すぎて的を得ない」
「だろうね」
 実のところ自分でもわかっちゃいない。
 傷が結ばれて、でもまた開いてしまってを繰り返す所だけが似てると思ったわけだし、
 夢なんて曖昧なものだから口することにうっすら羞恥すら覚える。


「プレッシャーから来る何かかもしれないな」
「また唐突だね。
 …そう思った理由は?」
「お前、僧侶だからな」
 手を打たれる場所と役職だと投げやりに言う敏夫に僕は小さく笑った。


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