「坊主のくせに死体がだめってか」 いまだに調子の戻らない鼻をならしながら皮肉交じりに敏夫が言った。 「煙草を吸ってる医者にだけは言われたくないよ」 医者だって酒も煙草もするさと笑った。 第一発見者だった。 山入の二屋を訪ねると全滅。 人か動物かさえわからない状態の肉片の中に僅かに人と分かってしまう部分を見つけ嘔 吐したのはつい先ほどに思える。 陽はとっくに斜めから指し、赤く空を染めている。 僕は内心ほっとしていた。 やり場のない思いと行き場のない現状に辟易していたからだ。 白黒のパトカーの上で点灯する赤が空気に溶けている。 それが白い日の中で回転していた頃からずっと眺めていた。 帰りたかった。 ところが敏夫が現れた瞬間から呼吸は整い始め、空気が澄む。 さながら正常を取り戻したという所か。 僕にとっての彼は昔からそうである。 思いつめて関係を持ったのはもう十数年前になる。 まるで鬼か吸血鬼のように貪りついた。 彼の体液を口にしなければ人を殺めて回ったのではないだろうか。 ならば淫魔の方が正しいのかもしれない。 なんの前触れもなく首筋に噛みついた僕を敏夫はただ観察するように見つめていた。 その視線に正気を取り戻した。 だから今も同じだ。 「こういう生々しい姿はなかなか見ないから」 「確かに食指が疼くとはこのことだな」 「…不謹慎だ」 それはどちらのことだろうか、2人でそっと笑いあう。 まだ、嘘が吐ける。 そのことに酷く安堵した。 「敏夫の言葉は真に受けるととんでもないね」 最近、サービス業は客がうるさいという。 まだこれが冗談交じりだと村の人たちは分かっているからいいものの、外で病院に居た 頃はどうしていたのか今更ながら気になった。 考えないようにしていたのだ。 あの頃の形容しがたい暗い感情に引きずり込まれそうになっているのをまだ弱っている のかと勘違いでもしたのだろうか、敏夫は口を開いた。 「お前の言葉は鵜呑みにしといた方が何かと言いがな」 あぁ、その通りだ。 鎌をかけたと言わんばかりに口の端を釣り上げて見せる様は日常を思い出させる。 僕はまだここに居る。 そう、これは非日常だ。 肉片が散乱していることも、死体に虫がたかることも、血飛沫が飛び散っていることも。 三重子さんの空白の日の謎だって非規則的な問いかけで、決して僕が答えなければいけ ないようなことでも無い。 僕は鬼を飼っている。 空想、形とすれば文章という世界で野放しに。 快楽に浸るように、人であったものを見つめていた。 こみあげる笑いを必死に隠した。 電話をした後、ただ忘れまいと目を瞑り、それでも何かを吐きだし続けた。 敏夫が居る。 僕が居る。 鬼はもう、隠れた。 たぶん、当分。 <<