=サメナイ= 生きて、と会話愚か呼吸さえもままならない状態で発せられた言葉。 ここで回答しなければただそれは空気になるだけで―返答しなければ、済む。 この声は届くのだろうか。届いたとして何の意味がある。 普段なら当たり前に考えそうなこと全てをすっ飛ばして、久保田は言った。 うん。 「…懲りないなあ 俺も」 倒れていた男を拾い上げる。 一向に目覚める気配はない。 「重いや」 腕を引っ張っただけでそれが詰まっているものだと感じる。 行き場のない言葉は空気中に拡散して広がる。 決して消えたわけじゃない。 二方向に向かって行っただけ。 あるいはそれ以上の場所へ。 言葉を形成していたであろう分子が久保田の体に降り注いだ。 得も知れぬ感情が湧きあがり口から零れ出る。 その形は、笑い声だった。 「はっ おかしいなこりゃ」 ほんと、オカシイ。 荷物のように担いだそれはやはり軽いと言えなかった。 「重いや」 暗示をかけるように同じ言葉を繰り返す。 二度目の言葉はまがいもなく拾いものに向けられていて、久保田は何故か安心した。 「やだな 独り言ばっか」 眠り姫は眼を覚まさない。 よほど疲れていたのだろう。 でなければこうも眠り続けることはできまい。 知識ではそう思うものの自分が体験したことでは無いせいかあまりピンとこないが。 啜っていたコーヒーの湯気が久保田の眼鏡を曇らせる。 裾で適当にふき取りコップを机に置いた。 コトンと小さな音が鳴る。 ぴくりと眠り姫の睫毛が動いた。 「起きればいいのに」 社交辞令のように気持ちのこもっていない声が響く。 その声を散らすように秒針が規則的に針を振る。 自分の言葉を反読する。 「寝てて良いよ」 矛盾しているような言葉も心の中ではまったく同じ文字なのだ。 起きればいい、起きなくてもいい。 どちらでもいい。 拾ったことに意義がある。 退屈は嫌いだ。でも眠り姫を見つめる時間は嫌いじゃない。 それが答えだった。 さて、起きたらどんな声をかけようか。 「良く眠れた?」 時間的には十分な睡眠はこの時点でとれている。 「どうして倒れてたの?」 疲れたからだろう。 「もう少し寝てなよ」 どれだけ寝るのだろう。 「身体、大丈夫?」 怪我の後は特に見られない。 「その右手、なに?」 教えてくれるとは到底思っちゃいない。 「おはよう」 思いつく言葉を口に出してみた。 「良く眠れた?どうして倒れてたの?もう少し寝てなよ。身体大丈夫?その右手 なに? …おはよう」 最後の言葉が一番マシな気がして繰り返す。 「おはよう」 眠り姫に声をかけた。 返事がないことには慣れている。 第一、目も覚めていない。 「おはよう」 馬鹿みたいだと思いながらも繰り返す。 慣れない言葉に口元がかゆい。 「おはよう」 この言葉を紡ぐことは酷く気分を高揚させる。 早くこの言葉を言う機会になれば良い。 一生、楽しみな気持ちを持っていたい。 どっちも本当の気持ち。 「おはよう」 <<