夕暮れどきの彼岸花。
 刃を伝う血液。
 あ、忘れてた。
 てめぇのギラついた眼。


「ん・・・はぁ、や・・・」
 誰かのギラついた欲望と交わる。
 聞こえよがしにわざと大きめに声をあげる。




 




 場所は遊郭の奥の奥。
 金持ちか裏家業の奴しか入れない欲の掃き溜め。
 裏社会の更に裏側。
 闇の中の闇。


 オレは好きだぜ、全部。
 真っ赤でさ。
 どこか冷静な頭で考える。


 どろどろの血液が流れてるんだよ、この場所には。
 この薄汚れた痩身にゃ一番似合わねぇ色だけど。
 ・・・もっとも、似あう色こそねぇけどさ。

 それに、天職なんだ、このオレには。
 嘘も芝居もお手の物。
 快楽上等。
 オレが望んでやってんだ。


 まぁ、もしも次の人生があるなら料理人でもなりたいけどね。
 本当は料理が好きだから。
 こんな身体じゃ人様に食い物出せやしないけどさ。
 でも、海にも出たい。
 一度も見たことはないけれど。






 かすみかくもか。
 嗚呼、死ぬんだなオレは。
 夜空に咲いて乱れて。
 無様な人生生きてきたよな。






 昔、誰かに聞いたんだ。
 この世界は海ってものの中に浮いてるんだって。
 地面より海の方が多いんだって。
 まぁ、御伽噺はいいや。
 オレの仕事は夜伽。


 霞か雲かわかんないけどそんなもんに視界が奪われてきて思った。
 上の気配を感じたい。

 
 あとで思ったんだが別に普段どおりだった。
 快感?絶頂?
 わかんねぇけどさ。
 意識が飛ぶんだよね。
 イくときってさ。 
 数秒後には目覚めるんだ、どうせ。
 それだっていつものこと。


 っでいつも思うんだけどさ。
 死ぬかなって思うと後悔っての?
 するんだわ、毎回。
 形にならない靄がオレに囁く。
 まだだめだ。
 終わっちゃだめだって。
 すると手で拭った血反吐が鮮明に色を取り戻す。
 視界がくっきりとする。


 不変な物って無いんだよな。
 自分の眼という存在でそんなことを感じる。
 片目が見えないこともそうだ。
 色をすぐに無くす。
 すぐにものは変わって見える。
 それでも、庭の松ノ木はいつも緑だ。


 今回の目覚めは最悪だった。
 よくある話だけどやりやがってくれました。
 このクソおやじが。
 太ももを乳白色の液体が伝う。
 

 あーあ。
 オレ知らねぇよ。


 眼の前が大好きな色に染まった。
 実はこれが人生の楽しみなんですなんて言いやしない。
 断末魔の叫びが聞こえる。
 大丈夫。
 外に聞こえやしない。
 襖も障子も特別。
 あの長っ鼻の防音設備にゃこのぐらい序の口だ。


 それでも時たま思う。
 外に聞こえやしないか。
 捕まればいいのに。
 オレなんか。


 あ、でもだめだ。
 あいつがきっと岡引でもなんでも血しぶきあげさせちまう。
 オレに殺意を向けたら最後。
 そいつは斬られる。


 斬られた誰かがこっちを見ていた。
 もともと腐った目してたからあんま変わってねぇや。
 お前にもオレは映ってねぇ。
 濁った目が色を減らしていく。



 あんた誰を映してんの?



 あいつはこっちを見た。
 刀を誰かの着物で綺麗に拭きながら。
 いつものように表情のない目だった。
 さっきまでギラついてたくせにいっきに冷たくなった。


「・・・洗って来い」
 汚いものと遠まわしに言われている。
 ゾクゾクする。
「綺麗に切ったな」
 笑ってやるとあいつはオレを見るのをやめた。
 眼が腐るとでも言いたげだった。
 草のような髪の色を網膜に焼き付けて精液を流しにいくことにした。

 
 外に出るとロビンちゃんが中庭の大石に座っていた。
 ゾロみたいな松の下から眼を細めて微笑んでいる。
 彼女はいつも微笑を浮かべている。
 そういえば今日の客を連れてきたのは彼女だ。


「また斬ったの?」
 どうせ答えは知ってるくせに聞いてくる。
「またあいつがやっちゃった」
 馬鹿だよね、と笑うとそうね、と彼女は微笑んだ。
「でも良いのよ別に。
 死んでもいい人間しか連れてきてないから」
 彼女の言葉はいつも残酷だ。


 吐きそうだ。
 せきこんでも血しか出なかった。

 
 とはいえ彼女が悪いんじゃない。
 生い立ちが彼女をああさせたんだ。
 彼女は被害者だ。
 何も信じられない彼女。
 信じることを知らないオレ。






 そんなことを考えてた昼、何でも信じる少年がやってきた。
 冬でも麦藁帽子をかぶったお日様のような男。
 最近、冬だというのに桜が咲いてる変な気候じゃあるけれど。
 それでも麦藁帽子は無いと思う。
「サンジー、元気かぁ?」
 まったく、気の抜けるような顔をしやがって。


 ルフィは近くの酒屋の次男坊だ。
「てめぇ配達の途中だろうがよ」
「だってせっかくここ寄ったんだからよぉ、お前に会わなきゃ。
 あ、もちろんゾロにもな」
 いつもこういって家から只同然で手に入れた酒をゾロに渡しに来る。 
 お前がいていいところじゃないと毎回追い払うのだが聞かない。
 週に一回程度、なんの意味があるのか知らないが話しをしては帰る。
 実のところ、これが楽しみで仕方ないのが現状だ。


 ゾロが部屋に入ってきた。
 ルフィが来てるから。
 いつもは外か天井裏にいる。
 そして見張ってる。
 誰かが禁をやぶってオレに中出ししないか。
 オレは女じゃないのに。


 意図はわからないけどそれがゾロの仕事。


「そういやな、さっきナミに会ったんだけどな」
 嬉しそうに想い人のナミさんのことを話してくる姿はなんだか弟みたいでくすぐったい。
 ゾロもルフィが来たときだけ眉間のしわが減る。
 たまに笑いさえもする。
 それでもオレが笑いこけると不機嫌そうな顔をする。
 お前はずっとないてろってことか?


 ナミさんはこの遊郭の経営者の娘だ。
 だからルフィのことは多めに見てたまにここにやってくれる。
 それまでオレはここ十年、遊郭関係かゾロしか人を見たことが無かった。
「ナミが今日みかんくれたんだ」
「へぇ、あの守銭奴が」
「あの金銭感覚はナミさんの長所だろ」
 こんなことを話せるのはルフィが来たときだけだ。


 ルフィが帰ってゾロは戻った。
 中庭に灯りがともり出し、外の声も変わってくる。
 夜がくる。






 今日もロビンちゃんは昨日と同じ場所にいた。
 松ノ木は今日もかわらず青々としている。
「今日は斬ってないから」
 聞かれる前に答えてその場をあとにしようとした。
「・・・ひとつ、聞きたいことがあるのだけれど」
 彼女にしては珍しい、焦ったような声だった。
「何?」
「欲しい物を言ってちょうだい」


 紅いものの名前を答えた。


 眠りにつこうとして天井を見る。
 木目はもう数え飽きた。
 今日、いつだっけ?
 そして彼女の行動の意味がわかった。
 今日は珍しい日だったんだ。






 これは夢だ。
 ふと気がついた。
 開放された気分だったのに。
 オレを包んでる空気がぽかぽかして紅い。
 むしろ暑い。
 むせて咳き込んだ。
 苦しい。


 とうとう世界は狂っちまって夏でもやってきたのか。
 それともオレが狂っちまったのか。
 夢が狂ってるんだろな。
 ゾロが襖をすごい勢いで開けてオレに向かってくるんだもん。
 顔が怖ぇ。
 怒ってるみたいだな。
 でも温かいや。
 いつもみたいな冷たい眼じゃない。


 ・・・何か言ってる?
 聞こえねぇ。
 夢も少しくらい夢みせてくれたらいいのに。
 面白くないから目を閉じた。
「好きだぜ」
 夢の中ぐらい呟く権利があると思って言ってみた。






 一度だけ、まともに話した記憶がある。
 それはいつものような夜のことだった。
 ゾロは、客だった奴を斬ったあとオレに聞いた。
「なんでこんなことを続けんだ?」
 オレは答えられなくて代わりに聞いた。
「ゾロはなんで人を殺すんだ?」
 しばらく黙ったあと、ゾロはこう答えた。
「・・・強くなるためだ」






「―サンジくん。
 ねぇ、サンジくんってば!」
 あぁ、ナミさんの声がする。
 でも返事ができない。
 身体が動かない。
 そっか。
 とうとう死にましたかこのオレは。
 長くもったと思うけどさ。


 ナミさんごめんね、悲しませちゃって。
 こんなオレのためにさ。
 ゾロ、良かったな。
 これでお前はもっと強い相手を探しにでれるぜ。


 どのくらいかナミさんの泣きそうな声を聞いていた。
 泣いていたのかもしれない。
「・・・やめねぇか」
 ゾロの声がした。
 何かが壊れる音がする。


「何よ!
 あんただって心配なくせに。
 心配なら心配だって言いなさいよ、大人ぶっちゃって。
 泣きそうな顔してあたしに八つ当たりするんじゃないわよ!」


 ゾロが・・・?
 松ノ木みたいに常時変わらないあのゾロが?
 オレのせいで泣きそうだ?
 嘘だろ。


 視界が戻った。
「サンジくん!」
 ナミさんの顔が見える。
 少し離れたところにゾロもいる。
「ゾ・・・」
 息が詰まる。
 咳が出る。
 血。






 その後、オレは療養を言い渡された。
 仕事は当分してはいけないらしい。
 そういえば此処はどこかと聞くとナミさんが隣町だと教えてくれた。
「なんで?
 オレ普段のところでいいよ」
「・・・燃えちゃったの」


 ゾロが殺した誰かの関係者の放火だったらしい。
 そしてオレは焼け死にそうだったところをゾロに助けられたのだとあとで見舞いにきた
 ルフィに聞かされた。


 死ぬって開放されることなのかもしれない。
 眠りにつきそうな頭でふと思った。






 次の日、ロビンちゃんが来た。
 初めて彼女を陽の高いうちに見た。
 おとつい、松の下でオレの答えたものをくれた。
 一輪、根も土もついたままで。
 どうやって見つけたんだろう、この季節。


 そういえば、松は焼けてしまったのだろうか。
 ナミさんがこっちに住んでるあたり全焼だろう。


「私、あの仕事やめたの」
 彼女は綺麗な笑顔で笑った。
 そして、花のためと鋏と花瓶をくれた。
「そっか、良かったね」
 被害者は減った。






 日が暮れ、オレの時間がやってきた。
 だけど仕事はできない。
 ゾロもいない。
 あの火事で何もかも失った。
 もともとほとんど持っていなかったのに。


 仕事のできる身体はきっと戻ってこない。
 そんなこと知ってた。
 流行り病にかかってたことぐらい。
 毎日吐く血液。
 息も出来ないほどの咳。
 痛むカラダ。

 
 あの夢が現実だったあたりゾロはもう帰ってこない。
 一生言わないと心に誓った言葉を言ってしまった。
 汚くて卑しいオレの評価を更に貶めてしまった。
 もう、ゾロはいない。
 松ノ木も火には叶わない。



 だからもう失うものはない。



 ロビンちゃんにもらった彼岸花の根を鋏で刻む。
 それを押しつぶして花瓶に汁をいれる。
 この腕で料理を作ったことあったよな。
 それは十年以上も前の記憶。



 オレの好きな紅い色。
 夕暮れどきの彼岸花。
 刃を伝う血液。
 あ、忘れてた。
 てめぇのギラついた眼。



 失うものは失った。
 得る物は何も無い。
 本物の彼岸花を見に旅だとう。
 この身ひとつを連れて。



 花瓶に口をつけた。






 花瓶は口を残して落ちて割れた。
 気がつかなかった。
 襖の向こうの庭には松があっただなんて。
 オレのうしろにゾロが居ただなんて。


 やっぱり好きだな、その眼。
 刀を持ったらギラつきやがる。
 わ、オレの手も斬れてんじゃん。
 馬鹿じゃねぇの、あいつ。


 暗転。












 オレは生まれた。






 何の因果か目の前には紅い山茶花が落ちていた。
 紅、黄、緑。
 オレの好きな色ばかり。


「受け取れ」
 起きて早々言われたことがそれだった。
 呼んで来る、とゾロは逃げるように襖の向こうに消えた。
 言葉がたりねぇよあいつは。
 心なしか頬が熱かった。


「サンジー!」
 ルフィがものすごい足音を立てて勢いよく襖を開け放つ。
 ナミさんがそれにキレてルフィを殴った。
 そのあとからロビンちゃんに連れられるようにゾロがやってきた。
 オレに背をむけて座る。


「サンジくん?」
 ナミさんはルフィを殴った険相のままだ。
「あんたクビよ」
 ロビンちゃんがふふふと笑った。



 ・・・ちょっと待って。



 おいおいおい。
 何?
 何この展開?


 おかしいでしょ?
 オレもう死ぬよ。
 冗談じゃないよ?
 ねぇ?


 ロビンちゃんが微笑みながら言う。
「大丈夫よ、剣士さんが養ってくれるみたいだから」
「ゾロ、うちで働くもんなー」
 ちょっと待て、そこの麦わら。
「そういうことよ」
 ゾロは向こうをむいたまま何も言わない。
 ナミさんにどつかれてようやく口を開いた。


「・・・そういうことだ」
 少し、笑っている気がした。


 



 空は蒼い。
 オレの寝そべってる草原は緑。
 隣にも緑頭。
「あー、このまま死んじまいてぇなぁ」
 呟いた瞬間抱きすくめられた。
 きつく抱きしめられて顔をあげられない。
「・・・そんなこと冗談でも言うな」
 そういう恋人の顔はきっとオレの好きな色だ。


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