梦うつつ


 それはとてもおかしな話だけれど、そう思ったことに罪はない。
 死んでいる、気がする。

 傍らに居るはずの藍猫の姿が無い。
 我は焼け爛れた大地の上に独りで居た。
 英国に来てからはお目にかからない砂漠のように干からびた世界が、あった。
 これと似たような風景は幾度も眼にしたことがある。
 ―窟。
 本拠地とし、商いを行い、主を務めていた場所。
 祖国の写し絵のような、そこ。
 嗚呼、地獄なのか。

 キリスト教に染まったわけではない。
 けれど適した言葉がほかに見当たらずに口から洩れる。
 神はいない。
 それでも、地獄はある。
 無が己を包み込むことに酷く恐怖を覚えた。
 必死で他の感情を呼び起こそうと夢想するも、一度芽生えた恐れはひかない。
 無の境地とはすなわち悟り。
 自分に言い聞かせても景色は変わり映えのないままだ。
 徳僧はただ感情が欠落している人のことなのか―。

 欠落者。

 むかし誰かに言われた気がする。
 誰だったろう。
 何処の御仁がそんなことを言ってくれたのか。
 最後に見た顔を思い出す。
 藍猫じゃあない。
 悪魔で執事の彼でもない。
 伯爵君か、ありえない話でもないな。
 けれどしっくりといかないものがあった。
 数多の人間に会ったのだ、思い出せないことだってあるさ、ふふ。
 自分の最期の記憶がよみがえり、思わず笑みが漏れた。
 


「君はおかしくて笑ってるのかい?」
 背筋を震わすような声が言った。
 世界が一変する。
 暗くてかび臭い壁が目に入った。
「ああ残念だ、実に惜しいことをした。
 小生好みの身体だったのに。
 綺麗にしすぎたね、正当な判断を下すべきじゃなかった。
 まったく、職業病だよ」
 残念だと繰り返す男を見て、死という幻想は吹き飛んだ。
 ここは見知らぬ場所ではない。
 そして、身体に違和感を感じる。

「すぐに抜こう、そうしよう。
 君の笑みもいささか情緒にかけるものだったが目覚めたのならそれどころじゃない。
 いや、困ったな、本当に困った」
 硬度を失った分身を引き抜こうとする感覚に、驚いて物も言えなかった口から音が出た。
「…まだ死ぬには早かったみたいだね」
 劉大人、と続けられて純粋に困惑する。
 訛りのない、綺麗な発音だった。
 わからないものは数多くあったが、この男もなかなかに興味深いものだと改めて思う。

 急に上がった息を沈めて、恣意的に浮かべた笑みの上に言葉を乗せる。
 下腹部に力を入れながら。
「君に敬称で呼ばれる日が来るとは思わなかったよ」
「小生も生きている人間と交わる日が来るとは思わなかったよ」
 なるほどね。

「なんだっけそれ、この国ではネクロフィリアって呼ぶんだったかな」
「阿片を愛せなくてもそれで得た代金は愛せるようなものだよ」
 その例えが妙に的を得ていたものだから笑ってしまった。
 力を入れるなと、少し困り気味に言う顔がおかしくて笑いは余計に止まらない。

 そうだ、今度は彼と遊ぼう。
 伯爵とその執事くんは元気だろうか。


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